仙台市に住む92歳の現役フィギュアスケーターです。羽生結弦さんとの思い出や、90歳を超えても滑り続けるスケートへの思いです。

 泉区にあるアイスリンク仙台。ここに92歳の現役フィギュアスケーターがいます。青葉区に住む浅野千江子さん(92)です。
 浅野千江子さん「小さい時からずっとやってたから、縁は切れないっていうかね。スケートやっぱり好きですね。一番好きですね」
 浅野さんは、20年ほど前からアイスリンク仙台に通っています。
 浅野千江子さん「ここへは週2回、火曜と金曜は先生のレッスンが」

浅野千江子さん(92)

 軽快な足取りと真剣なまなざしで氷上を滑る浅野さん。スケートとの出会いは今から83年前。浅野さんは小学4年生の時、父親の徴兵のため家族で満州に渡り、現地の学校の体育の授業でスケートに出会いました。
 浅野千江子さん「男の子に負けまいとして男の子の後をついて、それでストンと後ろに転んだりして、それでも平気でけがなんかしなかった」

 浅野さんは厳しい戦時下を過ごし、終戦後、日本に引き揚げる時もスケート靴を履いていたと言います。
 浅野千江子さん「日本に引き揚げるってなった時、引揚者になってリュック背負って、その時、スケート靴は靴だけ履いて、刃はもちろん持ってこられないので靴だけそのまま履いて、履いてきたんですよ、フィギュアスケートの靴を」

小学4年からスケートを続ける

 日本に戻ってきてからもスケートを続けた浅野さん。まだ小さい娘を近所の人に預け、凍った五色沼に通いました。
 浅野千江子さん「娘に言われるんだけど『お母さん私のこと全然見ないでスケートリンク行ってた』って言われるんだけど、絶対にやるんだと言ったら、どこへでも行ったんですよね」

 夫の転勤で上京した浅野さんは50歳からスケート教室に通い、これまでさまざまな大会にも出場してきました。2022年6月には、東京で行われた愛好家が出場する大会に指導者の武者愛さんとペアを組み出場。5組中4位でしたが、大会最高齢賞を受賞しました。
 浅野千江子さん「この年までスケートできるって自分自身が思わなかったけれども、考えてみたらそうですもんね、90過ぎたもんね、ほんとにすごい、自分ですごいと思う。自分ですごいと思いますね」

 夫に先立たれ、現在は一人暮らし。コロナ禍で人と会うことが制限される中、スケートリンクで出会う人との会話も楽しみにしています。
 浅野千江子さん「楽しいですよ。やっぱりスケートしてると高揚するっていうかね。家にいて一人でしょ?テレビばっかり見てるでしょ?(人と話すのは)娘から電話がくる時ぐらいでね。あと一人ですもの、ここへ来ると誰かいますから」

スケートと会話が元気の源

 スケート、そして、人との会話が元気の源だという浅野さん。そんな浅野さんは周囲の人の憧れの存在です。
 フィギュアスケート仲間「本当に若々しくていらっしゃってお会いすると私の方が元気をいただく、そんな方です。お料理されたりとか、スケート以外にもいろんなことを楽しんでいらっしゃって、とても92歳という年齢には見えませんし」
 フィギュアスケート仲間「憧れです。人柄も素敵な方ですし、あのくらいになってもスケートを続ける体力と健康と何よりもその情熱、自分が持ち続けられるかなと思うけれど、お手本がいらっしゃるので、できれば私もずっと続けていきたいなと思いますね」

 アイスリンク仙台に拠点を移してから20年。ここでは羽生結弦さんとの思い出があります。
 浅野千江子さん「(羽生さんが小学生くらいの時)ここで一緒に滑ってましたの。それでね、私手作りのお菓子なんか作るの好きで、ピロシキなんか作ったのあげたりもしたの。懐かしいですよ、だからいつも応援してましたよ、羽生君はね」

 スケート一筋の人生。これまでけがなく健康に過ごせたのも、スケートのおかげだと話します。
 浅野千江子さん「私はおかげさまで、スケートずっと続けてきたから、体もね、うん。地下鉄の階段もトントントントン登ったり下りたりできるし。私自分が不思議でしょうがない、どうしてこんなに元気なんだろうって思うくらい、どこも悪くないんですもんね」

「スケートが生きがい」

 2月に93歳の誕生日を迎える浅野さん。「スケートは私の生きがい」。これからも変わらず大好きなスケートを続けます。
 浅野千江子さん「好きなことだから、スケートにこう、熱中してる。スケート以外に目がいかない。だから、テレビでスケートのね、なんか見ると必ず見ますよね。それが楽しみですね。スケート、やめない、うん。やめるわけにいかない」