脳死と判定された人からの臓器移植を可能とする臓器移植法が施行されて25年が経ちましたが、日本の臓器移植の件数は、アメリカやヨーロッパと比べて格段に少ないのが現状です。海外に渡航して移植を目指すケースも少なくない中、息子の心臓移植を約3年半、国内で待ち続けた家族がいます。
重い心臓病を患い、心臓移植を待っていた玉井芳和ちゃん(4)。2022年4月、入院中の病院で静かに息を引き取りました。
大阪府に住む芳和ちゃんの母親、敬子さんです。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「これが一番好きな先生からもらったボール。青が好きだしって言って、握る力はなかったんですけど、こうやって持って」
2018年2月、3人兄弟の末っ子として福井県で生まれた芳和ちゃん。ミルクを良く飲む元気な赤ちゃんでした。
生まれて間もなく夏バテのような症状が見られ、念のためと検査入院したところ、心臓の筋肉が薄くなりポンプ機能が低下する拡張型心筋症と診断されました。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「全然心の整理はつかなくて、付き添いながら芳和が寝てる間に一人で泣いたりとかしてました。なんでちゃんと産んであげられなかったんだろうとか、ありましたね」
生きるために残された道は心臓移植のみ。家族は大きな決断を迫られました。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「助かる手段がまだ残っているのに、その子の命を諦めきれなかった」
日本の100万人当たりの臓器提供数は0.62とアメリカの68分の1、韓国と比べても14分の1と少ないのが現状です。
日本で臓器移植を待つ人は1月末時点で1万5791人、心臓に限っては894人います。
一方、2022年に行われた移植は455件、心臓は79件と待機人数に対し提供される臓器が圧倒的に少ない状況が続いています。
子どもの移植は更に少なく、小児からの臓器提供が可能になった2010年から2022年までの13年間で6歳未満からの臓器提供は25件しかありません。
移植までの平均待機期間は心臓の場合、約3年。重症化や合併症で待機中に亡くなるケースも少なくなく、海外での移植に望みを託す患者が後を絶ちません。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「移植の説明をする時に渡航しますかしませんかっていうのは聞かれました。上の子たちを置いて、じゃあ渡航するために準備をしたりしなきゃいけないのかっていうのを思うとすごく悩みました」
家族は、国内で移植を待つことを決断。芳和ちゃんは生後10カ月の時に補助人工心臓を装着し、ギリギリの命をつなぎながらその日を待つ、長い長い闘いの日々が始まりました。
一家は病院の近くに引っ越し、敬子さんは夫と交代で病院に通いました。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「芳和はそんなに体が強い方じゃなかったので、ちょっとずつちょっとずつ弱っていくんですね。半年に1回くらい急変をしたり、そのたびにICUに行ってなかなか会えなかったりとか」
亡くなる2年ほど前からご飯を食べるたびに嘔吐や血便を繰り返し、鼻や首から栄養を注入するように。更に、心臓に負担をかけないよう1日に飲める水の量はたったの50cc、大さじ3杯ほどに制限されました。
それでも一日一日を懸命に生きた芳和ちゃん。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「最初は(移植まで)3年っていう目標があったので、長くはなるんだろうなとは思っていたんですけど、2019年が結構移植が進んだ年だったので、もしかしたらうちも3年より短いかもしれないなと思いながら過ごしてはいたんですけど」
国内で行われた17歳以下の心臓移植の件数は、2017年、2018年が各7件だったのに対し、2019年は17件に増加。
しかし、2020年以降は、新型コロナの感染拡大で医療現場がひっ迫したことなどから5件程度にとどまっています。
待機を始めて3年2カ月が経った2022年2月、芳和ちゃんの体調の悪化が続き家族は移植を断念。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「最後に桜を見ようって、ちょうど4月だったので、お花見に連れて行ってもらったのが結構心に残ってて、出たことない出口から出て本当に遠くの方に桜が見えて、本人もわあ~ってなってたんですけど、それ2人で見れて良かったなっていうのは思いました」
2022年4月、脳出血を起こし4年という短い生涯を終えた芳和ちゃん。補助人工心臓の装着日数は当時、国内最長になっていました。
敬子さんが最後にかけた言葉は「ごめんね」でした。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「その時は国内で待つっていう選択や、移植に向かわせた選択が本当に合ってるかどうかが自分の中で全然飲み込めなくて、本当にただただ芳和に頑張らせてしまった、でも元気になることはなかった、家に帰って来れなかったのがすごく申し訳なくて、『ごめんねごめんね』って言ってましたね」
自分の選択が正しかったのか今でも確信は持てませんが、後悔はしていないと敬子さんは話します。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「芳和があの病院で育って待てたことっていうのは全く後悔はしてなくて、少し成長できたとかたくさんの人に愛してもらえたっていう事実はあるので、日本で待機していて良かったのかなとは思います」
最愛の息子とともに最後まで闘い続けた4年間。
芳和ちゃんの母親・玉井敬子さん「臓器移植っていつ自分に降りかかってくることかも分からないし、提供する側、待つ側っていうのもどっちになるかも分からないし、だから何でもない時に臓器移植について大事な家族だったりとか、パートナーと話してほしいなと思って、そういうことが伝えたいです」