オリンピックの正式種目、競輪は日本が発祥のスポーツです。競技用の自転車を製作している仙台市のフレームビルダーです。

 競輪阿部力也選手「選手1人1人が自分に合った自転車をオーダーして作っているので。生活も命も預ける物ですね」
 自転車フレームビルダー山本弦太さん「フレームという物に憧れがあったので。お父さんが
やってきた物を残したいという思いが強いですね」

 仙台市の住宅街にある工房です。
 山本弦太さん「プロ競輪レースで使用する自転車フレームを作っています」
 競輪の自転車フレームは、厳密な規格=NJSで統一されています。NJSの認定を受けた職人は、東北と北海道で山本さんだけです。
 山本弦太さん「9本のパイプをつなぎ合わせて、1台の自転車フレームができ上がります。(素材の合金は)軽量かつ強度もあり剛性もある。選手が強く踏んだ時にたわまない性質ですね。注文は1ミリ以下の内容で来ます」

競輪用自転車のフレームを製作

 自転車フレームの製作には、緻密な技術と経験が求められます。
 山本弦太さん「パイプのザグリですね、R(曲線の大きさ)に合わせて刻んでいきます。ここで数ミリ違ってくると、ろう付けした時に出来上がりがだいぶ曲がってるので最初の段階のザグリが大事な工程となります」

 山本弦太さん「例えば76度で作りたいとなった時に、最初っから76度目指すとゴールにならない。必ず鉄って縮むので、それを計算しながらちょっと詰めてちょっと詰めて最終的には76度の製品を作る」

 寸法の調整と溶接を何度も繰り返していくことで、シンプルにして繊細なフォルムのオーダーメイドフレームが完成します。
 山本弦太さん「父親が元々競輪選手で、引退した後にこのフレーム工房を立ち上げて5年くらいやりましたが廃業してしまいました」

 自転車競技をしていた山本さんの父親善八さんは、高校で日本選手権で優勝し大学ではオリンピックの候補選手にも選ばれ、23歳でプロの競輪選手に転向しました。
 そして39歳で引退後、仙台市に自転車の工房を構えました。しかし、職人としての下積みが足りなかった善八さんは注文をうまくこなせず、10年も経たずに廃業してしまいました。

父親の後を継ぐ

 山本弦太さん「生まれた時から自転車の環境だったんですけどね。近すぎて(自転車に)興味無いってありますよね。当たり前すぎて興味ない」
 大学卒業後、企業へ就職した山本さん。
 山本弦太さん「この環境に生まれてずっと、望まない会社で何かはありましたね。もやってしていることはずっと」

 会社を辞めて、自転車フレーム作りがしたいと善八さんへ打ち明けました。
 山本弦太さん「もう賛成ですね、弦太が勝負したいなら全力でサポートするよって言ってくれました。けんかもあれば褒められる事もあれば。最初は大変だったですよ。めちゃくちゃ不器用だったので自分は。よく考えろって言われて考えて考えて、考え抜いた作品はすごいいい物ができるからって、それを信じて」

 競輪阿部力也選手「自分の戦い方とか脚質に合ったフレームを1ミリ単位で作って、最適なフレームを探していくことが大切かな。山本さんも始めたばかりの時から付き合ってますし、上に勝ち上がっていきたい思いもありますし、一緒に成長していけたらいいなという思いですね」

勝利に導く自転車を

 山本弦太さん「選手が1人2人乗り始めた時期で、初記念レースを走ったんですけど、それをお父さんと2人で見て。勝てる勝てないじゃないんですけど、うわー走ってるって2人で泣きながら見てた。そこから今がある、決勝でも走れるフレームにもなっていますね。お父さんに見せたいです」

 「いけるいける、最後だ!あー準優勝だ。準優勝すごいっす」
 選手を優勝へ導ける自転車を作りたい。父が遺した工房と遺志を継ぎ、フレームビルダーとして歩み続けます。