旧優生保護法をめぐる裁判は最高裁が7月3日、旧優生保護法を違憲とし国の賠償責任を認める判決を言い渡しました。旧優生保護法の下で不妊手術を執刀した産婦人科医です。

 堀口貞夫医師「『私はここにいてはいけないということですか』と直接言われたこともありますね」

 東京都の産婦人科医堀口貞夫さん(91)は、医局の研修生だった20代の頃から旧優生保護法が廃止されるまでの10年間、不妊手術に携わりました。

 堀口貞夫医師「挟んでつぶして両脇を結ぶ」

 堀口さんが行っていたのは、卵管を圧迫して縛る手術法でした。開腹が不要な手術のため、傷痕が目立たないケースが多いと言います。

 堀口貞夫医師「本人が不妊手術をやったということが分からないようにしたいというのが親の考え方なんですよ。目立たないようにやってほしい、目立たないように縫い合わせてほしい」

 1948年に制定された旧優生保護法には「不良な子孫の出生を防止する」と明記され、全国で不妊手術が推し進められました。

 法律が制定されたのは、戦後の人口過多や食糧難の時代でした。障害のある子を持つ親が疲弊する現状がありました。

 堀口さんの元にも「娘が出産すれば周りに迷惑が掛かる」と多くの母親が手術を依頼しました。

 堀口貞夫医師「(親から)経済的にも成り立たないし妊娠を避けたいので『妊娠しないような処置ができるだろうか』という相談を受ける」

 手術を強制された人は1996年に法律が改正されるまでの間、全国で約2万5000人、宮城県では全国で2番目に多い1400人に上っています。

 当時、手術への疑問を抱かなかった堀口さんは、産婦人科医たちが「時代の要請」として手術を行っていたと振り返ります。

 堀口貞夫医師「今の価値観でおかしいよねと言ってもその時代はそうは考えてはいなかったわけだから。その時代は仕方がなかったんでしょうね。周りも仕方がないと思っていたから法律まで作っちゃったわけだし」

 産婦人科の団体は「旧優生保護法の問題点を指摘しなかったことを深く反省し、被害者に心からおわびします」と表明しています。