震災から11年が経ち、風化も懸念されるなか、教訓をいかに伝えていくかが課題となります。石巻市の門脇小学校は、沿岸部の自治体が整備する最後の震災遺構として4月、一般公開が始まります。

 石巻南浜津波復興祈念公園です。公園の先、ここから800メートルほどの所に海岸線が広がっています。そこから北側へ視線を移すと、後ろ側に津波と火災の痕跡を残す震災遺構・門脇小があります。

 校舎はもともと幅が107メートルありましたが、維持管理費を抑えるため、中央の67メートル分のみを残す形で整備が進められてきました。「石巻震災遺構・門脇小学校」と書かれた真新しい看板は、まだシートがかけられた状態で、4月3日の一般公開を待つばかりとなっています。

 11年前の3月11日、学校にいた児童224人は地震発生から15分後には裏山に向けて避難を開始し、全員が無事でした。ただ、下校した後だった低学年の児童7人のほか、学校に避難してきた住民が津波にのまれ、命を落としました。

 校舎は高さ1.8メートルの津波に襲われたうえに、流されてきた車や住宅から引火して津波火災が起きました。火の手は最上階の3階まで達し、木の部分が焼け落ちて骨組みだけになった机やいすが火の激しさを物語っています。こうした当時の爪痕が残る海側の校舎には、外側に見学者用の通路が設けられました。

 また、被災を免れた山側の校舎には、当時の避難行動の記録や震災前の地域の様子が展示されるほか、住民の証言を記録した動画も放映されます。

 石巻市の担当者は、地震と津波の恐ろしさを伝えるとともに、生き残った私たちが何のために生きていくのかを問いかける内容になるよう意識したと話していました。

 位置関係をまとめました。津波と火災で被災した海側の校舎。外側に見学者用の通路が設けられています。そして被災を免れた山側の校舎。様々な展示が用意されています。

 当時、学校にいた児童は校庭から裏山へ避難して無事でした。一方で、地域の避難場所として学校に来た人たちの中には南側から迫る津波と炎を避け、校舎の北側に回って裏山へはい上がって命をつないだ人もいます。