12年前の3月11日に生まれた命です。khbでは、あの日生まれた子どもたちを継続取材しています。4月から中学生になる仙台市の男の子の現在です。
仙台市に住む小学6年生、瀬川虎君。3歳から始めたサッカーの練習にこの日も打ち込みます。
父親・誠さん「思いやりのある子に育ってくれていて、本当に順調に12年間経っているのかなと思っています」
虎君が産声を上げたのは、震災発生からわずか37分後。水も電気も止まった仙台市内の病院の簡易ベッドで生まれました。
母親史佳さん「地震も今まで体験したことのない揺れと恐怖心もマックスで、主人に羽交い絞めにしてもらっての出産で」
1歳の頃は頑張って立ち上がることはできますが、まだ一人では歩けなかった虎君。3歳になると、かつてベガルタ仙台の選手だった父親・誠さんの影響を受け、サッカーが大好きに。始める大きなきっかけになりました。
5歳になるとシュートのパワーも増しました。父親の誠さんと親交があり、当時のベガルタ仙台の手倉森誠監督も見守ります。
手倉森誠監督(当時)「希望じゃないですかね。生まれたこと自体希望ですから」
あの日、どんなことが起きたのか。8歳を迎える頃には、両親から聞いた当時の様子を伝えられるまでに成長しました。
瀬川虎君「生まれた時に脱出しようとしたら、へその緒がつながってて行けなくて、車がひっくり返るというか揺れるくらいの大きな地震だった」
11歳になった虎君。さまざまな事に興味を持ち、陶芸にも挑戦。これまで約15点もの陶器を作り、自宅で愛用しています。
瀬川虎君「家族とかで使ってるんですけど、コップは自分がいつも水飲むのに使っててやっぱり量もちょうどよくて愛着が湧きますね。(次は)じいちゃん、ばあちゃんたちにプレゼントとかのお皿とかコップを作るかな」
小学1年生から始めた料理は今や家族が認める腕前に。
母親・史佳さん「今までの名作だと何だろう。カニ玉スープ?豆腐?いや本当スープもお肉焼くのもワクチンで私が調子悪くなって寝てる時なんか、夜ご飯全部(作ってくれた)。あとパパのおつまみとか、料理はすごくするんですよ」
瀬川虎君「すごく何か作ってておいしいなと思ったから作れるようになりたくて」
そんな虎君にとって2021年2月13日の地震は、初めて体験する大きな揺れでした。
瀬川虎君「ダーって(揺れが)きて。あ、やばって思ったんですけど、ここから(テーブルを)回っていって(母親が大切にしている)これをがしって取って中腰になりながらこうやって下の机の方に潜って」
冷静に対応した虎君。これほどの強い揺れがもっと長い時間続いた東日本大震災の恐ろしさも感じた、と話します。
瀬川虎君「机の下に隠れなきゃってすぐ思うほど強い揺れだったから、それがずっと続いた東日本大震災って本当怖いだろうし」
この日、虎君にとって思いがけない1日になりました。ベガルタ仙台の蜂須賀孝治選手が練習を見学に来ていました。
父親・誠さん「仙台大学で選手だったんだよ」
虎君「そうなの?」
父親・誠さん「一緒にやってたんだよ」
蜂須賀選手「虎君が生まれた時に大学生で、お父さんからお世話になってた」
虎君「そうなの?」
父親・誠さん「そうだよ、コーチと選手だったの」
ベガルタ仙台蜂須賀孝治選手「震災からこれだけ時が経ったんだなっていうのは、すごく虎君の成長を見てしみじみ思います。僕の活躍を見て虎君が良い刺激受けてもらえれば、僕も頑張る理由になるので」
あの日、生まれた命。その成長を、みんなが温かく見守ってきました。春からは、中学生。サッカーを続ける予定です。
瀬川虎君「地震(への備え)とかもそうだし、いろんな遊びとかもそうだし、いろんなことを経験していってそれを生活に生かしていって、1人でも生きていけるような人になりたいです」