終戦から79年が経とうとするなか、国に謝罪や補償を求め続けている人たちがいます。空襲で障害を負った被害者の悲痛な願いです。

 6歳になったばかりの夏。安野輝子さん(85)はアメリカ軍による空襲で爆弾の破片が直撃、左足を失いました。

安野輝子さん 「足がちぎれているとは気が付かなかったけれど、周囲がぬるぬると血の海だった」

 太平洋戦争末期に始まった本格的な空襲。障害を負った民間人は全国に30万人いたとされますが、政府は「国との雇用関係はなかった」などとして軍人らとは区別し、一度も補償をしていません。

安野さん 「皆と同じように学校行けないし、皆と同じように走ることもできないし。この国が起こした戦争でしょ。攻められた戦争じゃないじゃないですか。謝罪してほしいですよ」

 戦時中、空襲被害に対しては給付金を出す法律がありましたが、戦後は廃止されたままです。

 50年ほど前、安野さんたちは声を上げましたが、国が応じることはありませんでした。

安野さん 「この国ってなんなんだろう」

 今年で98歳を迎える木津正男さん。18歳の時、目の前で焼夷(しょうい)弾が炸裂(さくれつ)し、全身に大やけどを負いました。

 この30年、終戦の日などに合わせて、天皇陛下や総理大臣らに宛てて戦争体験をつづり、補償を訴えてきました。

 それも、もう限界。やけどを負った右手は5年前、皮膚がんになり、手術し、ペンを握るのも難しくなっています。

木津正男さん(97) 「書いても読まないんじゃしょうがないじゃない。自分の気休めになっちゃったね。やるせない気持ちだね」

 受け止めてもらえないまま、79年が過ぎようとしています。