東京池袋にある宮城県のアンテナショップが15日夜、惜しまれながら19年の歴史に幕を下ろしました。

 宮城県のアンテナショップ宮城ふるさとプラザの営業最終日となった15日、午前11時の開店前には30人以上が並びました。

 特産品や工芸品など約1500の宮城県産品を販売した宮城ふるさとプラザは、2005年のオープン以降年間60万人以上が訪れ、親しまれてきました。

 来店客「出身が宮城県ですからよく来ていました。地元のかまぼこやさつま揚げ、みそ、団子がおいしいので買いに来ました」

 しかし、賃料や運営委託に年間1億4000万円ほどの経費が掛かっていて、宮城県は負担の大きさなどを理由に閉店を決めました。

 来店客「友達と飲むとなったら、お酒買って行ったり牛タン買って行ったりという感じで使っています。結構長い間使わせてもらっていて、寂しい気持ち」

 閉店をめぐっては、2023年にサンドウィッチマンの伊達みきおさんがラジオで存続を訴え「俺、やろうかな」と話し話題となりました。

 オープン1年後から勤務する店長の大蔵国孝さんは15日、多くの客が訪れ店の商品がどんどん品切れとなっていく様子が東日本大震災の時と重なりました。

 宮城ふるさとプラザ大蔵国孝店長143751「商品の少なさは、震災の時を思い出す。商品が入って来ないのに支援のために買いに来たよということで、お客さんの対応を思い出す」

 15日午後6時に閉店を迎え、大蔵店長が最後のあいさつをしました。

 宮城ふるさとプラザ大蔵国孝店長「2005年7月の開店以来、約20年間にわたる皆様のご愛顧に心より感謝申し上げます」

 来店客「おばあちゃんの家が仙台市で。ここに来ると仙台を思い出す。すごく悲しい」
 多くの利用客に惜しまれながら歴史に幕を下ろした宮城ふるさとプラザは、店舗の存続を求める声に対し運営を行ってきた宮城県物産振興協会は早くも動き出しています。

 1月中に東京の日本橋茅場町に仮設店舗をオープンし、2026年3月まで県からの経済的な支援を受けずに期間限定で営業を続けることにしました。

 宮城ふるさとプラザ大蔵国孝店長「これまでご来店いただいた皆様、生産者の皆様の応援がすごくございますので、何とか力に変えて再び宮城県のPRができる店をつくっていきたい」