震災からの復興が進み、12年ぶりに海開きが行われた宮城県東松島市の野蒜海岸。この日を心待ちにしていた女性がいます。海ににぎわいを取り戻したいと願う女性の思いに迫りました。
海開きを前に、砂浜の清掃作業に追われる女性。東京都出身の関口雅代さん(46)です。関口さんは6年前に東松島市に移住し、市への移住を後押しするコーディネーターとして活動しています。
関口雅代さん「移住に関わるパンフレットを修正し、制作しています」
関口さんは、大学卒業後に東京の音楽制作会社でCDジャケットやアーティストグッズのデザインを手掛けていました。デザイナーとして忙しい日々を過ごしていた彼女の人生を変える日がやってきます。
東日本大震災です。すべてを失った人たちの姿を見て力になりたいと思った関口さん。震災の2カ月後からボランティアとして被災地に通い始めました。
デザイナーの仕事で東松島市を訪れた時に接した人たちの温かい人柄に心を奪われ移住を決意しました。
関口雅代さん「東松島の市民の方の人柄とか、移住コーディネーターとして仕事している中でも、市役所の人と市民の方の近さとか、地域全体で町を良くしていこうっていう土台がすごく好きで」
この日は、米やトウモロコシを栽培している市内の農家を訪れました。関口さんが大切にしているのは、地元の人たちとの触れ合いです。
農家木村正明さん「この通り人懐っこい人。震災がなければ出会わない方でしたね。絶対に。変な意味で震災があったおかげで本当にいろんな方に出会うことができたので、そのうちのありがたい存在の一人です」
東松島市で暮らすうちに感じたのが海の美しさでした。機会があると海岸に足が向くと話します。
関口雅代さん「地域の方と焚火をしたり、遊びに来ると必ず野蒜海岸に来て時間をかけてのんびりするっていうのは大事な時間だったので、今も野蒜の海岸を見ると一番落ち着く場所ですし」
かつて、多くの人が訪れていた野蒜海岸も、震災後はにぎわいを失いました。海から離れてしまった人を再び呼び戻したい。海を拠点に地域に活気を取り戻したい。関口さんは、まずは海岸のごみを拾うことから始めようと考えました。
5年前から毎月1回、地元の仲間と猛暑の日も雪の日も清掃を続けるうちに、海への愛着は更に増しました。一方で、地元の人たちの海に対する複雑な思いも知ることになります。
関口雅代さん「今まで野蒜海岸に足を踏み入れられないって人もまだまだたくさんいらっしゃるんですけど、そういった方が子どもたちが喜んで海で遊ぶ姿を見て、あーちょっと見に行ってみようかなって、海に来てみたいなって思う方が増えたらいいなと思いますし」
野蒜海岸では、防潮堤の工事が2021年末ようやく完了しました。関口さんが待ち望んでいた海開きが可能になったのです。
しかし、海開きを目前に大雨の被害に遭います。そんなピンチも地元の人たちが救います。
関口さんら住民約100人で、川から流れてきたごみなどを拾い、無事に海開きを迎える準備が整いました。
「海とずっと付き合ってきたわけですから(仕事で)、もう50年近く。いくら津波とかなんかあったとしても、海はなくてはならないもんですよね」
「震災を体験しているからその辺なんとも言えないけど、小さい子どもたちは喜んで遊んでいるけど、それはいいと思いますよ。少なからず」
週末には多くの人が訪れ、にぎわいを取り戻しつつある野蒜の海。関口さんは、この海で楽しい思い出を作る人たちが、増えてほしいと願っています。
関口雅代さん「多世代で海を楽しんで、また来たいとか大人になっても友人を連れてきたいとか、忘れられない思い出をたくさん作りたいなっていうふうに思います」