東日本大震災から12年が経ちましたが、宮城県ではいまだに1215人が行方不明のままです。妻を捜し続ける男性と、家族からの依頼で捜索を続けるNPO法人です。
高松康雄さん、66歳。向かうのは冷たい冬の女川湾の底。津波にのまれ、行方不明になっている妻の祐子さんを捜し続けています。
高松康雄さん「実際、時間が経つと(捜索は)どんどん難しくはなるんですけれども、何かこのどこかに妻がいるのかなと思うと、やはり潜っているだけでも良いかなと」
12年前の3月11日。海の近くにあった七十七銀行女川支店で働いていた祐子さん。支店長の指示で高さ約14メートルの屋上に避難しましたが、それを超える巨大津波に襲われました。
高松康雄さん「ここまできたら無事ということはないと思うんで、もう分かっていることなんでね。であればせめて遺体の、遺骨の一部でも連れて帰りたいというのはやはり思いがありますね」
月日が経ち、町の景色が少しずつ変わり始めてきたころ、高松さんにある思いが芽生え始めました。
高松康雄さん「人任せにしておくのもちょっとなと思って、やっぱり自分でも潜らんとなと、迎えに行きたいと思って」
高松さんは自ら捜索することを決断し、2014年2月に潜水士の国家資格を取得。トレーニングを重ね、捜索を始めました。
高松康雄さん「危ないことしないでって言っているんじゃないかなと。早く出てきてくださいと。一緒に帰りましょうと」
これまでに海に潜った回数は500回を超えました。この日も、高松さんは海の底へ。海底には、津波で流された車やがれきが残されたまま。年々泥が堆積し、捜索は時間が経つにつれより難しくなっています。高松さんが何かを拾い上げました。
高松康雄さん「衣類だったら遺骨とかある可能性もありますね。着てる人がそのまま流されたら、そういう可能性があるかなって。(妻は)ブラウスですからね。ちょっと似ているというか」
洗い流してみると、祐子さんのものではありませんでした。
高松康雄さん「町はどんどん新しくなって、きれいにはなりましたけどね。海の中はまだまだがれきがあったりで。まだまだ捜さないと駄目だなと思って」
ボランティアで行方不明者の捜索を続ける団体もあります。NPO法人海族DMCの太見洋介さんです。行方不明者の家族から依頼を受け2014年から月に一度、海中や砂浜の捜索活動を続けています。
NPO法人海族DMC太見洋介代表「何か一つでもね、出てきてくれると良いんでしょうけど」
この日は、息子が行方不明となっている両親からの依頼で、山元町の砂浜を捜索。
NPO法人海族DMC太見洋介代表「津波の引き波で、テトラポットの陸側のこっちの面の方に引き波でいろんな物がこういった所に引っ掛かっているケースが多いので、テトラの足元を中心によく捜索しますね」
約1.5キロを4時間かけて捜索。しかし、手掛かりは見つかりませんでした。
太見さんは、これまでに宮城県を中心に20カ所以上を捜索。子どもの体操着やランドセルなど、200点以上を見つけてきました。捜索の依頼はこれまでに計78件。
「骨の一つでも私たち家族の元に、お墓に納めたい」「捜索を続けてもらっていることが心の癒やしになる」
家族からは、毎年、捜索の継続を望む声が多く寄せられています。
NPO法人海族DMC太見洋介代表「私たちの活動に問い合わせをいただく行方不明者の家族の方は、まだ当時の気持ちのままだと思います。私たちの捜索がどれだけそういった方々の気持ちを少しでも優しく包んであげることができるか分からないですけど、ただそれを私たちは願いながら、祈りながら活動していますね」
大切な人を連れて帰ってあげたい。行方不明者の家族は、その日を、12年間、待ち望んでいます。