楽天イーグルスの田中将大投手が自由契約となり、チームを退団することが明らかになりました。
田中将大投手「こんにちは田中将大です。本日は、ご報告の動画となります。この度、私は楽天イーグルスと来季の契約を結ばずに、新たなチームを探すことに決めました」
24日に自身のユーチューブチャンネルで退団することを明かした田中投手、移籍先はまだ決まっていないということです。
今シーズン、田中投手の推定年俸は2億6000万円。登板は1試合にとどまり、プロ入り後初めて未勝利に終わっていました。
オンラインで取材に応じた石井一久シニアディレクターは「うちにとってすごく必要なプレイヤーで、当然残ってほしいということも伝える中で減額制限を超える大幅な減俸を提示し、本人から自由契約にしてほしいと申し出があった」と話しました。
仙台市民「仕方ないと思います。スポーツの世界ですから」「やっぱり楽天のマー君っていうイメージがあるので、何とか最後まで楽天で200勝を達成してほしかったですけど」「僕らは何とも言えないので、今後温かく見守るしかないのかなと思ってます」
25日、仙台駅東口にある楽天イーグルスのグッズショップでは、田中投手のタオルやユニホームを買おうと多くのファンが駆け付けていました。
ファン「18番田中はもう無くなるから記念に」「やっぱり人気だったので、手放すのは残念かなと思いますけど楽天ファンとしては」「最後になるかもしれないのでカレンダーを」「高卒ルーキーから見てきたので何か弟っていうか甥っ子っていうか」「他球団に移籍したとしても変わらず応援していきたいなと思います」
田中将大投手「来季は今年投げられなかった分、更にしっかりと投げて戦っていきたいと思っているので、引き続きしっかりと準備をしてオフシーズンを過ごそうと思っています」
田中投手は2021年にメジャーリーグのヤンキースから楽天に復帰し、年俸9億円の2年契約でしたが成績が振るわず、2023年は4億7500万円、2024年は2億6000万円と大幅減額となりました。
NPBが定めたルールでは、年俸1億円を超える選手の減額制限は40パーセントまでとなっています。
楽天は田中投手に今回、2億6000万円の40パーセントに当たる1億400万円を超える減俸、つまり1億5600万円以下の年俸を提示したとみられます。
NPBのルールでは、減額が上限を上回る場合でも選手の同意があれば契約を締結できるとありますが、今回は田中投手から自由契約にしてほしいと申し出たということです。
日米通算200勝まであと3勝と迫っている田中将大投手、19年目の来シーズンは新天地でプレーすることを決意しました。その歩みを振り返ります。
2013年に開幕から無傷の24連勝という誰も成し遂げたことがない記録を打ち立て、チームに日本一をもたらした田中投手は2014年からはメジャーで7年間活躍しました。日本でのプロ野球キャリアが再び動き出したのは、2021年でした。
三木谷浩史オーナー「東北のファンが、この時を待ちわびていたのではないでしょうか」
田中将大投手「日本の野球ファンの前で投げられる、ワクワクが抑えられていない状態」
大エースの8年ぶりの復帰に仙台の街も歓迎、楽天での第2章は大きな期待感を背負いスタートしました。
復帰後初の本拠地登板となった西武戦、6回1失点で勝利投手となり節目となる日本球界通算100勝目を達成しました。
田中将大投手「他のピッチャーに負けないように頑張りたいと思います」
しかし、その後は勝ち星が伸びずに苦しみました。
復帰2年目には9勝を挙げるものの、3年目は7勝と2桁勝利には届かず負け越すシーズンが続きました。
田中将大投手「世間ではどう言われているか分かっていますけど、自分の中ではまだまだできると思っている」
右ひじのクリーニング手術を行って臨んだ今シーズンでしたが、開幕から調子が上がらず1軍登板は1試合のみ。復帰4年目は1勝もできず、あと3勝と迫った200勝を前に足踏みする年となりました。
23日に行われた楽天のファン感謝祭では、楽しむ田中投手の姿がありました。
田中将大投手「今年僕自身は何もできなかったので、とにかく来年1軍の舞台立てるように頑張っていきます。皆さんから応援したいと思っていただけるように頑張ります」
くしくもこの日が楽天のユニフォーム姿の見納めとなりました。
プロ入り19年目の来シーズン、田中投手は日米通算200勝を新天地で目指すことになりました。
東日本大震災後、田中投手は被災地にも足を運んでいました。
宮城県東松島市に住む安海宇秀さんは、大曲小学校の児童らが所属する少年野球チーム東松島ドリームズの監督を務めています。
震災後の2011年4月に大曲小学校を訪れた田中投手は、避難所に身を寄せる子どもたちと触れ合い激励しました。
東松島ドリームズ安海宇秀監督「キャッチボールとかいっぱい遊んでもらって、本当に苦しい中で本当に楽しい思いをさせてもらったっていうのがありました。子どもたちも僕たちも力を与えてもらったっていう感じですよね」
震災当時から監督を務める安海さんも、田中投手から勇気付けられました。楽天の選手から受け取ったサイン入りのパネルは、今も大切に保管しています。
東松島ドリームズ安海宇秀監督「直筆でサインをもらうっていうことが初めてで、びっくりして本当にすごいなって、もう今でも宝物にしてます
南三陸町で調剤薬局を営む小坂克己は南三陸町の楽天イーグルス応援協議会長を務めていて、調剤薬局には楽天のポスターやボールなどの記念グッズが所狭しと並んでいます。
楽天イーグルス南三陸町応援協議会小坂克己会長「間違いなく楽天での200勝だと思って疑わなかったので、この報道はびっくりしました」
南三陸町では、2013年に楽天が初優勝した時に当時仮設だったさんさん商店街で行われたパブリックビューイングに100人以上の人が駆け付けました。
楽天イーグルス南三陸町応援協議会小坂克己会長「我々にとってはありがとうでしたからね。おめでとうよりもありがとうだったので、マー君が先頭に立って球団を引っ張ってくれたんだなと思いました。道の途中ではあるとは思いますけども、200勝達成して今後も頑張ってもらいたいなと思います。田中将大という野球選手を応援することに変わりはないです」