新幹線は東北に大きな恩恵をもたらした一方で、マイナスの面もありました。東北新幹線開業から40年。その光と影を振り返ります。
1982年6月23日早朝。仙台駅は熱気と期待に包まれました。
「新幹線が今、仙台駅の上りホームを滑り出しました。歴史的な瞬間です。拍手の中を上り一番列車が大宮に向かって動き出しました」
それまで、仙台−東京間の所要時間は4時間以上。東北新幹線は大宮駅までの部分開業でしたが、それでも所要時間は2時間余りと大幅に縮まりました。
当時の乗客「A私は娘が東京にいるので、これから何回も使うのではないかしら」「乗り心地は満点みたいだね」
東北新幹線の開業により首都圏への往来が容易になったことで、経済面や観光面で仙台を中心に宮城県は大きく発展しました。
更に1991年、東北新幹線は東京駅まで延伸。東京への日帰り出張や旅行も気軽にできるようになります。
当時の乗客「子どもたちが遠くに行っても会えるしね。交通の便がいいということは素晴らしいですよね」「すごい騒いじゃって車掌さんに怒られました」
専門家は、80年代から90年代にかけては東北にもたらした恩恵が大きかったと話します。
七十七リサーチ&コンサルティング田口庸友首席エコノミスト「新幹線沿線の人口が増えたと、様々な企業の誘致が進み特に東京に本社があるような事業所の支店や支社、そういったものが増えた」
「人や物の流れといったですね、様々な需要が生まれて消費が生まれて経済成長に寄与した」
しかし、光があれば影もあります。日本経済の減速とともに東北の都市では、支店や営業所が交通の便の良い仙台に集約され過疎化が進みます。
便利な東北新幹線が、逆に地域間格差を加速させてしまったとも言えるのです。
七十七リサーチ&コンサルティング田口庸友首席エコノミスト「やはり大都市に様々なものが集中するようになったと、便利なもの(東北新幹線)ができることによって恩恵が広く行きわたるのではなくて、大都市の方に恩恵が偏在するようになったと、それを象徴するような40年間だったと言うことができると思います」
東北に大きな変化をもたらした東北新幹線の開業から40年。その利便性を地域全体の発展にどうつなげていくか知恵が求められています。