震災で全てを失った宮城県気仙沼市の漁師が、水産業者らとタッグを組みインターネットを活用して地元の魚を全国に届けています。「このままでは水産業が衰退する」。危機感がきっかけでした。
漁師の藤田純一さん(46)、5代続く家業を継ぎ20年以上になります。この日は暑さの中、養殖用のロープの掃除に汗を流していました。
藤田純一さん「仕事ができているだけでも幸せだなという思いがありますし、食べる人たちの笑顔を想像しながら仕事ができているのは、幸せなんじゃないかと思います」
震災当時、今のように漁ができるようになるとは想像もできなかったと話します。
藤田純一さん「防潮堤も流されて何も無くなった所に、一番最初に見た時に今まで自分が住んでいた所が全然変わった土地になってしまって涙しか出なかったですね。家は全部流されてしまっているし」
藤田さんは、津波で自宅だけでなく船や養殖いかだ、加工場など全てを失いました。一時はがれき処理の仕事をするなどして、暮らしを維持していました。
失意の底にいた藤田さんに転機が訪れたのは7年前。地元の経営者を対象としたプログラムに参加し、そこで魚の仲買業を営む吉田健秀さんと水産加工業を営む千葉豪さんと出会いました。
水産業の世界は独立性が強く、同業者と手を携えてということはほとんどありません。しかし、震災で壊滅した気仙沼市の漁業を復活させようと熱い議論を交わす中で、3人で力を合わせ新たな水産業へチャレンジすることを決意しました。
藤田純一さん「やっぱり仲間ができたという思いが強くて、すごく心強かった思いと自分と同じ志を持った人と出会ったといううれしさですね」
3人は、気仙沼市で取れた魚を消費者に直接販売する通販サイトを立ち上げます。魚の価値を下げないため、安売りはせず適正価格で販売することがこだわりです。
鮮度に加え、品質の高さが人気で全国から来る注文の約9割はリピーターからです。
藤田純一さん「お中元とかに使って、届いた人たちから、良かったから使いたいというので広がっています」
この日、魚市場を訪れていた仲買業の吉田さん。お目当ては、現在販売に力を入れているサメです。
カネヒデ吉田商店吉田健秀社長「立派なサメの中でも、なお立派なサメを買ってお客さんに届けたいと思っています」
気仙沼市が日本一の水揚げを誇るサメを、代々専門に扱ってきた吉田さんの会社。サメはフカヒレだけではなく、竜田揚げやフライにしてもおいしいと話します。
カネヒデ吉田商店吉田健秀社長「気仙沼市のサメは鮮度が抜群ですので、鮮度がいいとサメも匂いとか変な味がないと、おいしくいただけるということを皆さんに知って頂きたいです」
吉田さんが買い付けたサメは、すぐに千葉さんの加工会社へ。サメの切り身に加工されます。
仕入れから加工、販売までを一気に行うため、新鮮な状態で消費者の手元に届けることができます。
MCF千葉豪社長「水揚げされた当日に冷凍まで作業するというのがこだわりですね。魚食をもう1回見直してほしいっていうのはありますね」
藤田さんたちの会社は、SNSも活用しています。一般の人たちにはあまりなじみのないサメの調理方法などを紹介し、新たなファン獲得につなげる狙いです。
3人で始まったチャレンジ。今では、協力してくれる仲間も増えました。インターネットだけではなく、店舗での販売も始めています。
そして、ウニの陸上養殖など新たな取り組みも計画している藤田さん。自分たちが頑張ることが、気仙沼市の水産業の復活につながると信じています。
藤田純一さん「震災の時に何も無くなって、全国と全世界から支援をもらって今の姿があると思うんですよ。私たちがやっと仕事ができるようになって、何で恩返しができるかなと言ったら、おいしいものを届けることが恩返しになるのかな」
小笠原侑希記者「インターネットで消費者に直接販売したり、ユーチューブを活用してファンを増やしたりと、ユニークな取り組みで自分たちが取った魚を自分たちで値段をつけて売る。
当たり前のように聞こえますけど、漁業の世界ではこれまでなかなか難しかったので、新たなモデルケースになると思います。
震災から7月11日で12年4カ月ですが、気仙沼市の漁業復興の最大の課題は担い手不足です。
気仙沼市の漁業経営体の数は震災前に比べ、6割ほどにまで減少し厳しい状況です。それぞれノウハウを持っている漁業者が力を合わせビジネスを行う。こうした取り組みが、気仙沼市の漁業復活の足がかりとなることが期待されています。