能登半島地震の被災者は、いまだ厳しい環境での生活を余儀なくされています。東日本大震災の被災地、宮城県から能登半島地震の被災地で活動を続けている人たちがいます。被災地から被災地へ、広がる支援です。
被災地に雪が降った1月15日、石川県能登町に集まった医師や看護師たちは、宮城県の石巻赤十字病院から石川県に派遣された救護班のメンバーです。
日本赤十字社は、地震の発生直後からこれまでに全国の病院から被災地に延べ152の救護班を派遣しています。この日、石巻赤十字病院のチームは能登町で活動を行っていました。
向かったのは能登町の避難所です。衛生環境に問題が無いかや、体調に問題を抱えている人がいないかを確認します。
避難生活が長期化する中、課題となっているのは感染症の拡大です。この避難所でも避難している人が新型コロナを発症し、個室に隔離されていました。防護服に身を包んで、診察に当たります。
井上顕治医師「酸素の取り込みとかは全然問題無いようです。98%となっているので大丈夫そうです。あした以降も誰か来るかもしれません、入れ替わり立ち代わり色々な人が来て申し訳ないんですけど」
患者「診てくれるだけで助かりますよ、どうしようかなと思っていたので」
いまだに約1万5000人が厳しい環境の中で避難生活を送る被災地では、高齢者の災害関連死への懸念も高まっています。
93歳の女性は、心臓や肺に病気があり健康上の不安を抱えています。
1人1人から丁寧に話を聞き、必要な人には薬を処方するなど医療が必要な人たちのニーズに応えます。
女性「親切にしてくれているので、何も不自由はないです」
女性の娘「病気をたくさん持っているので、お医者さんが来てくれるっていうことはありがたいことだなと思っております」
避難している人の健康状態が悪化するケースは、東日本大震災でもありました。井上医師はその経験を生かし、今置かれている環境の中での最善を尽くしたいと話します。
井上顕治医師「個々の事案に関してベストなことをする。いつものことはできないわけなので、全体を通じてベターなことを選択していくしかないのかなと」
東日本大震災で全国から支援を受けた宮城県の被災地から、あの時の感謝を石川県の被災地に返します。
井上顕治医師「あくまで私個人ということになるとは思うのですけど、東日本大震災の時にも多くの地域から多くの方々が我々の地域の方にいらっしゃっていただきましたので、今回はそれの逆のことを行っていくと」
東日本大震災をきっかけに始まった取り組みも、能登半島地震の被災者支援へと広がりを見せています。
12日、宮城県石巻市では日本カーシェアリング協会が石川県の被災地で車の無償貸し出しを行うため、ボランティアが準備作業を進めていました。この日、車両は被災地に向けて出発しました。
車両運搬ボランティア「私自身が震災で被災していて、車を失うとその後の復旧復興に向けても車が無いと話にならない」
東日本大震災の被災者を支援しようと、協会は2011年7月から寄付金などを使って車の貸し出しを開始しました。震災を機に始まった取り組みが、新たな被災地の支援につながりました。
多くの被災者が早速、車を借りようと訪れていました。七尾市の観光施設に拠点を設け軽トラックは最長3日間、軽乗用車と普通車は7月31日まで長期で貸し出します。
利用者「輪島市でも結構車も損傷している人が多いので、友達にも頼めないのであれば助かりますね」「駐車していた車が津波で流されてしまって、本当にありがたいです、ありがたいの一言しかないくらいありがたいです」
協会では、これまでに約40台の車を貸し出していて、今後300台に増やすよう準備を進めています。吉澤代表は、被災者の生活再建に活用してほしいと話します。
日本カーシェアリング協会吉澤武彦代表理事「宮城県石巻市も地震と津波で車も非常に大きな被害、被災がありましてそこで生まれた支援活動なんですけれども、あの時からずっと様々な支援を受けてこの活動を続けてきました。東日本大震災で培ったノウハウを今回の能登の地震で被災された方々を助けるために、めいっぱい貸したいなと思っています」