身近な植物に親しめる仙台市野草園が、7月21日で開園70周年を迎えます。戦争で荒廃した杜の都を守ろうと、開園に尽力した人たちがいました。

 仙台市野草園は、JR仙台駅から南に約2.5キロに位置する大年寺山の起伏ある地形を生かし、様々な植物を育て公開しています。
 この日は、ボランティアガイドによるアジサイの観察会が行われていました。季節ごとに訪れた人を癒やして楽しませてくれる野草園のその誕生には、太平洋戦争が深く関わっています。

開園から70年

 戦時中、燃料不足を解消しようと仙台市ではスギやコナラ、クリなどが次々に伐採されました。戦争末期の仙台空襲では、中心部が焼け野原になってしまいました。更に戦後に宅地開発が次々行われると、杜の都から緑が失われていきました。

 東北大学の加藤多喜雄教授はこうした状況を嘆き、当時の岡崎栄松仙台市長に「植物の保護のため力を貸してほしい」と訴えました。
 仙台市野草園早坂徹園長「このままでは身近な植物がどんどん無くなってしまうのではないかという心配をした、東北大学にいらっしゃった先生が当時の仙台市長に話を持ち掛けて決まったと」

 岡崎市長は申し出に対し、市の保有地に植物を移し保護することを提案します。加藤教授は、理想よりも7分の1ほどの土地であったことなどに失望しますが、市長の提案を受け入れ植物園の建設に着手します。
 市民に加えて少年院の生徒らも協力して荒れ果てた土地を整備し、植物愛好家などが各地の植物の採集に当たり1954年7月21日に野草園が開園しました。
 加藤教授は、後に多くの市民が野草園を訪れる姿を見て「完全に市民1人1人のものになっている。うれしいことだ」と振り返っています。

終戦から9年後に開園

 仙台市野草園には現在、10万平方メートル近い敷地には1110種類もの植物が育ち職員が日々手入れを行っています。
 仙台市野草園早坂徹園長「雑草を抜いて残す植物を目立つようにと言いますか手入れしなければいけないので、草刈りのように一様に刈るわけにはいかない」

 開園から70年を迎えるに当たり、仙台市野草園の歴史を知ってもらおうとパネル展が企画されました。写真は、パネル化されている物だけでも500枚以上に及びます。
 仙台市野草園早坂徹園長「どのパネルを展示しようか迷っています。今から急いで考えます」

 展示のメインに据えたのは、ケヤキがシンボルとなっている芝生広場の変遷です。植えられて間もなくの頃は細く子どもの背丈の2倍ほどの高さのケヤキでしたが、70年ほど経った現在は大人の背丈の10倍ほどの高さに育ちました。
 仙台市野草園早坂徹園長「70年経ちますと木も大きくなりますし、自然も変わっているなと思いますけど、ただ、この辺の地形とか太白山とかは変わってないんだなと」
 この他、秋の恒例行事である萩まつりのにぎわいの写真など、150点ほどが展示されています。
 来園者「戦後間もなくでしょ。当時開園しようと考えた人が偉いと思います」「これからも仙台市で大事に育ててもらいたいと思います」

あゆみを振り返るパネル展

 開園から70年を迎えるに当たり、早坂園長は今後も野草園が市民に親しまれ続ける場所であってほしいと願っています。
 仙台市野草園早坂徹園長「開園当時ほどにぎわうことも少なくなってきましたけれども、まだ身近なところにこういう市民の宝の場所がありますので、是非来園していただければと思います」  野草園の歴史展~70年のあゆみ~は、7月21日まで開催されています。