飲むと楽しい気分になるお酒ですが、飲み過ぎると健康や生活を壊す怖さもあります。アルコール依存症の深刻な実態です。

 「1つ、私たちは家族はもとより迷惑を掛けた人たちに償いをします」
 この日、仙台市青葉区の集会所で開催されたNPO法人宮城県断酒会の集まりには、アルコール依存症に苦しんだ人たちが参加しました。

 参加者「私は小学校3年生くらいから飲み始めたのかな。婆ちゃんにビールの泡を飲むと健康になるからって言われてね」「本当に酒にまみれた生活だった。女房、それから子どもたちも全部失って」

断酒会の集まり

 宮城県断酒会の飯塚裕理事長も、酒が原因で仕事を失いました。30年近く酒を断っています。
 宮城県断酒会飯塚裕理事長「きょう1日やめる。あす1日。その繰り返しなんですよ。やめ続けるために必要なことが、こういう例会へ通って体験談を話す、聞く。その繰り返しで断酒を継続していく」

 アルコール依存症とは、大量の酒を長期間飲み続けることで酒無しではいられなくなる精神疾患です。
 仙台市に住む女性はアルコール依存症に苦しんだ過去を持ち、10年以上酒を飲まない生活を続けています。
 女性「スーパーではお酒の売り場は通らないようにしていましたね。今でも好んでは通らないですね」

 初めて酒を飲んだのは、高校生の頃でした。
 女性「飲んでみたらすごく気分が変わって、暗い、引っ込み思案だった私が明るくなったんですよ」
 周囲の目を気にしがちだった女性にとって、酒は自分を強くしてくれる武器でした。毎晩のように飲み歩きましたが、飲んでも顔色は変わらず、周りからは酒の強い人と思われていました。

 20代後半で結婚し、2人の子宝に恵まれました。一方で子育ての大変さなどもあり、4リットルの焼酎を台所に常備し、酩酊するまで飲むようになりました。
 女性「実家にいる時は湯飲み茶わんに焼酎入れて薄めるんですけど、においがしないようにはするんですけど焼酎じゃないふりして飲んでましたね」

 酒をやめようと思ったのは、40歳が近づく頃でした。うつの症状も重なり死んでしまおうと、2人の子どもの目の前でベランダから飛び降りようとしたことがきっかけです。
 女性「お母さんやめてって泣いて叫ぶ子どもと、上の子は呆然と直立不動みたいにしているところを振り向いて見た時に、これはもうお医者さんに頼って助けてもらわなければ私は駄目だと」

 2度の入院を経て、今は酒の無い生活を送っています。支えは、依存症患者の自助グループでの活動です。この日のミーティングで、女性は司会役です。参加者に、体験を語るよう促します。
 参加者「子どもは小学生なので、小学校に送り出すのに朝ご飯とか。出して、行かせてそこから飲み始める。昼あたりにブラックアウト、記憶が飛んで」

 女性は参加者の話に静かに耳を傾けます。1人じゃない、そんな感覚が酒を断ち切る支えです。
 女性「何年やめていてもきょう1日という単位で、きょう1日飲まないでいられますようにとお祈りして1日を過ごしています」

 長く患者と向き合ってきた医師は、アルコール依存症は欲求のスイッチが入るとブレーキが利かない状態だといいます。
 東北会病院石川達理事長「その人の人柄や性格とは全く無関係で、最近は脳の研究が進んでいて欲求をコントロールする部分の働き、悪くなっているからと特定されています」

「ブレーキが利かない状態」

 1回の入院で酒を断ち切れる人はむしろ少数派で、再び飲んでしまう患者が多いといいます。
 東北会病院石川達理事長「アルコール依存症という病気の本体は孤独、孤立の病ですから(患者の)心理を理解して、酒を飲む理由を徐々に変えていく」

 酒類メーカーも対策に乗り出しました。JR仙台駅近くのこちらの飲食店を訪れたのは、アサヒビールの鈴木純さんです。鈴木さんの提案でこの日からメニューに加えたのが、ノンアルコールとアルコール度数の低い飲み物です。

 アサヒビールは不適切な飲酒を減らすため、アルコール度数が低めかゼロの商品の販売割合を2025年までに2019年の3倍以上、全体の2割に引き上げる目標です。
 アサヒビール仙台支店鈴木純さん「飲酒運転や健康の問題に対する、当社としては責任ある飲酒という言い方をしているんですけれども、そういった活動をしております」
 客「(健康のため)アルコールの摂取を控えていて、アルコールが飲める時でもノンアルを飲んだりしています。こういうメニューが増えるのはすごい大歓迎です」

 アルコール依存症を経験した女性は、依存症に完治はなく今も回復の過程にあると言います。それでも、職場の飲み会をウーロン茶で楽しめるようになりました。
 女性「いつもこうなりたい、ああなりたいっていうのがすごくあって、そこに到達しなくて落ち込むことがあったのが今のことに満足して、今、目の前にあることに集中するようになって。今もそうです」