厳しい暑さで82年ぶりに記録更新。82年前に学べることがありました。

■“82年ぶり”暑すぎる記録更新

 頭をなでると知恵を授かるという御神牛も長く触り続けられないほどの熱さに。

 福岡県太宰府市は27日連続の猛暑日を観測。史上最多を更新しました。

 そして、名古屋市も連続記録を更新しています。

 夏まつり中の名古屋城で飛ぶように売れる「かき氷」。

 猛暑日は14日で21日連続となりました。82年ぶりに最長記録が更新されています。

 そこで82年前の気温を見てみると、連日35℃以上が続き、酷暑だったことがうかがえます。なかには40℃に迫る日もありました。

 なぜこの年の夏はこれほど暑かったのか。当時の天気図から分かるのは南の熱帯低気圧から暖気が送り込まれたこと。

 太平洋高気圧に長期間覆われたことで猛暑が続きました。

■“エアコンない”当時の対策は…?

 82年前の1942年は戦時中。異例の暑さを当時の人々はどのようにしのいでいたのか当時の生活用品を見てみると、暑さをしのぐ家電製品といえば扇風機が出始めたころで、もちろんエアコンはありませんでした。

昭和日常博物館 市橋芳則前館長(61) 「水道というより井戸水を使っていたので、それを使って打ち水をするとか」

 文化財として保存されている昭和初期の生活がうかがえる住宅。暑さをしのぐポイントは“住宅の造り”にあるといいます。

昭和日常博物館 市橋芳則前館長 「基本的に家の構造を夏向きにして、風通しが良いようなスタイルの建物を造ることがまず基本。縁側という1メートルくらいの構造があり、部屋と表を隔絶している」

 扉には工夫が凝らされているといいます。ガイドをしている浅野さんによりますと…。

旧加藤家住宅 ガイド 浅野進さん(75) 「ここをよく見てもらうと風通しができるようになっている」

 夏はすきまから風が通り抜けて涼しく、冬は閉じることで冷たい風が吹き込むのを防ぎます。

 夜はどう暑さをしのいでいたのでしょうか。

旧加藤家住宅 ガイド 浅野進さん 「ここの中で寝る」

 夏は扉を全開にして風通しを良くし、“蚊帳”に入って寝ていたといいます。

旧加藤家住宅 ガイド 浅野進さん 「入るのにもコツがある。ここに蚊がいるので、よく払ってサッと入る」

 夏を基準に造られた当時の住宅。様々な対策で暑さをしのいでいたことが分かります。

昭和日常博物館 市橋芳則前館長 「当時工夫をする、知恵をしぼるということで今でも生かせるものがたくさんある」