東日本大震災から3月11日で14年です。宮城県各地の震災遺構で追悼行事が行われていますが、南三陸町では在り方をめぐり葛藤が続いています。

 海から約500メートル、南三陸町の旧防災対策庁舎です。14年前の3月11日に高さ15メートルの津波が押し寄せ、3階建ての庁舎の屋上を超えました。

 津波で、防災無線で町民に避難を呼び掛けていた町の職員ら43人が犠牲になりました。

 地震発生時刻に合わせ黙とうが捧げられ、犠牲になった人たちの鎮魂を祈りました。

 旧防災対策庁舎は今後、震災の月命日やお盆に照明で照らされることになり、10日夜に初めて明かりがともされました。

 佐藤町長は、犠牲者への鎮魂の思いを込めた明かりでライトアップではないと強調します。
 佐藤南三陸町長「追悼と鎮魂という思いで照明を設置をするということ。生き残った人間としてあそこで犠牲になった方々に、我々がやれることはなんでもやってやりたいという思いが根っこにはある」

 しかし、町民の中には庁舎が観光地のようになることを心配し、なぜ照明をつけるのか理解できないと訴える人もいます。
 反対町民の声「遺族がお願いした事と逆になった。観光地になったんだなと。なぜ照明をつけなくてはいけないのか、理解できないですよ」

 多くの人が亡くなった震災遺構をどのような形で残していくべきか、町民の間で模索が続いています。