東日本大震災から3月11日で14年です。宮城県各地では、犠牲になった人たちを悼み早朝から鎮魂の祈りに包まれました。
「祈りをするとかしかできませんので、どれだけの力になるか分かりませんが、早く復興してもらいたい」「何年経とうが関係ない。たまたま14年、経ったんだなというだけの話でね。立ち直れているかどうかは1人1人別ですからね」
東日本大震災では、宮城県で1万571人が亡くなり今も1215人の行方が分かっていません。
各地でそれぞれが犠牲者を悼み、祈りを捧げました。
佐藤誠悦さん「亡き妻が大好きだった花だったんです」
震災当時、気仙沼消防署の指揮隊長だった佐藤誠悦さんは津波で妻の厚子さん(当時58)を亡くしました。
佐藤誠悦さん「お母さん14年経ったよ。お前を助けることができなくて申し訳ない。みんな家族、元気でやっているよ。天から見守ってください」
JR女川駅前に毎年掲げられる黄色いハンカチに書き込まれるメッセージは、復興を願う言葉から未来への希望を願う言葉へと変化しています。
園長「海からあるものが来ました」
園児「津波!」
園長「津波です」
海岸からわずか4キロにある仙台市若林区のドリーム幼稚園には、津波が押し寄せました。津波や災害の怖さを園児たちに伝えています。
園児「安全に逃げられるようにって思ってる」
末屋保広園長「実際に体験はしなくても、頭の中で想像できるような、そんな子どもにと日々の保育の中に生かしております」
そして、午後2時46分。
「知人が亡くなっているので安らかに眠ってほしいと。1年に1回思い出すと苦しくなりますね」
「同じ家に住んでいて、高校3年生の時に亡くなりましたね。14年って短くて長いようで、でもあっという間な期間だったなと」
風船に思いをつづりました。
「みんな上で笑ってくれていますように、笑顔でいてくれますようにという気持ちです」「お友達がいたので、その方のためにお別れできればと思いました。また次の世界で再会できると思っています」
「本当に時間が経つのがあっという間で、本当に14年経ったんだろうかと思いますよね」
それぞれの15年目が始まります。