宮城県によりますと、宮城県では震災により関連死も含めて1万571人が亡くなり1215人が行方不明のままとなっています。各地では、震災で亡くなった大切な家族や友人などを思い、鎮魂の祈りが捧げられました。
「13年、まだ落ち着かない。死ぬまでこれは忘れられないね」「あった出来事を伝えていく。地震があったら津波から逃げるとか、能登半島地震もそうですし、日本のどこにいても起こりうることなので」
東日本大震災の発生から3月11日で13年です。被災地では鎮魂の祈りが捧げられています。
「能登半島地震がありましたし、どうにもならないことがたくさんありすぎて、色々なことを思いながら手を合わせました」「亡くなった娘に対して安らかにという気持ち」「成人になっていてどんな大人に。安らかに眠ってほしい」「13年経ってもまだつらいですね。思い出すとつらいです」「おばあちゃんに13年会っていないですけど、思いが届くといいな。笑ってくれてたらなと」
震災から13年が経ち、当時を知らない世代へ記憶をどう語り継いでいくのか、新しい課題にも直面しています。
末屋保広園長「何かがやって来ました。何がやって来たんでしょう?」
園児「津波」
末屋保広園長「そうです。海からでっかい高い高い波がザバーン」
仙台市若林区のドリーム幼稚園では、13年前に津波が押し寄せましたが、園児たちは当時生まれてもいません。
園児「津波の時も早く逃げることを大切にします」
ドリーム幼稚園末屋保広園長「常に何かしらの訓練、練習をして子ども達に危機意識を植え付けたいなと」
毎年女川駅前に掲げられる1000枚の黄色いハンカチ、当初書き込まれるメッセージは街の復興を願う言葉が多かったといいますが、近年は家族の幸せや心の復興を願う言葉へと変化しています。
「虹を書きました。街が色んな色になってほしい」「時間が過ぎたりとか住んでいる場所も違うけど、共通して考えられることがあるんじゃないかな」
名取市閖上では、集まった人たちが大切な人へのメッセージをハトの形の風船にしたためました。
「語りつなごう3.11見てもらおう復興の閖上、と書きました」「(震災当時は)下校中で、スクールバスを待っていてその時に地震が来て。そのまま学校に戻って、屋上に避難して。忘れていないよということを伝えたくて飛ばしました」