東日本大震災から3月11日で14年です。復興の歩みを定点撮影で振り返ります。

 2011年、震災前の宮城県南三陸町は漁業が盛んで海のきれいな港町でした。

 震災の津波で壊滅的な被害を受けます。14年間、復興へと歩んできましたが住民の数は減り続けています。

 南三陸まちづくり未来三浦洋昭社長「仮設の時は、何とかしなければいけないと力を合わせてみんなで立ち上げてきたけど、14年経って落ち着いてきている。いい意味での落ち着きではなくて今後の不安が増大してきたような現況」

 自治体で最も多くの犠牲者が出た宮城県石巻市では、ほとんどの住宅などが流された沿岸部も次第に建物が建ち整備が進んでいます。

 門脇町内会本間英一会長「少し人口は減ってきている。若い人たちが入ってきて子どもたちも多いのでこの地区はいいが、空地もいっぱいあって、新しく家を建てる人がどれだけいるか分からない。どうなっていくか見通しが分からない」

 内陸の奥深くまで津波が襲った宮城県山元町で復興の象徴となったのは、JR常磐線の復活でした。

 2016年には線路を内陸に約1キロ移し、不通となっていた区間が再開し住民の貴重な足となっています。

 震災前に名取市閖上の朝市は、多くの人でにぎわい活気にあふれていました。津波で全てが流されましたが、災害公営住宅が整備され徐々に人が戻って来ました。朝市もかつてのにぎわいを取り戻しています。

 ゆりあげ港朝市櫻井広行理事長「何も無かったところからここまで立ち直れたということは、我々の力ではない。皆さんの力に支えられたボランティアの方もいっぱいいたし、海外からも色々な支援があったし。これを考えれば頑張っていくしかない」