東日本大震災から3月11日で14年です。宮城県南三陸町では、震災から14年を経て犠牲になった町の職員の慰霊碑が建ちました。

 南三陸町の千葉みよ子さん(78)は14年前の3月11日、最愛の家族を失いました。3歳3カ月の孫ゆうちゃんは、津波に流され今も行方不明です。毎日3食、ゆうちゃんの食事を準備することが千葉さんの日課となっています。

 千葉みよ子さん「生きていれば17歳高校2年生なんですよね。飲み物もたまにはもうそろそろコーヒーがいいかなとか、おしゃべりしているというか会話したような感じでお供えしてますけどね」

 ゆうちゃんの父親で千葉さんの義理の息子、洋さんは、防災対策庁舎で津波に飲まれ犠牲になりました。

 千葉みよ子さん「防災庁舎の前をお年寄りが避難してきたという話で、その時におんぶして屋上に上がったって。逃げてしまえば生きていたのに、それができない人なんですよね」

 当時のつらい記憶を思い出すため、今でも防災対策庁舎の前に立つ事ができないという千葉さんは、14年を経ても悲しみが癒えることがありません。

 千葉みよ子さん「どんな思いで流されてどういうふうになったのか思い出すと、とっても。あそこの場所が私あそこの防災庁舎には胸が締め付けられるような思いで行けなかったんですよね」

 南三陸町では、防災対策庁舎などで町の職員が39人犠牲になりました。追悼の場を設けようと、立ち上がった人たちがいます。

 東日本大震災南三陸町職員慰霊碑建立実行委員会遠藤健治実行委員長「今回慰霊碑はここに設置をさせていただく」

 遠藤さんは、犠牲になった職員の慰霊碑を町役場のすぐ隣に建立することを決めました。震災発生当時副町長だった遠藤さんは、自身も防災対策庁舎で津波にのまれ九死に一生を得ました。

 心に抱き続けてきた慰霊碑の建立を決めたのは、2024年7月に防災対策庁舎が宮城県から南三陸町の管理に移ったことでした。 東日本大震災南三陸町職員慰霊碑建立実行委員会遠藤健治実行委員長「町有化という形で旧対策庁舎が恒久的に震災遺構として保存されるということを契機に、以前からそういう思いを持ち続けた仲間と話し合って、今回がたぶん最初で最後の機会だろうと思いを形にしようと」

 建立費用は、町の職員や遺族などから250万円以上寄せられました。

 南三陸町が本社の墓石店ではこの日、慰霊碑の制作が急ピッチで進められていました。専用の機具を使って一文字一文字掘っていきます。

 石彩館河田崇樹社長「39名の役場職員の方が亡くなられていますので、その方々の思いですね、ご遺族の思いを一文字一文字込めて」

 9日の除幕式には、遺族や町の元職員などが参列しました。慰霊碑に刻まれたのは、犠牲になった職員のうち遺族の承諾を得られた37人の名前と「あの日を忘れない」という言葉です。

 東日本大震災南三陸町職員慰霊碑建立実行委員会委員長遠藤健治さん「あの時の事を風化させてはならないという思いと、震災から学んだ1つの学習や教訓をこれからの防災活動につなげてほしい」

 千葉さんは、慰霊碑が未来の命を守る事につながると期待します。

 千葉みよ子さん「目に触れて恐ろしいんだなと知ってもらうためには、今後勉強になって語りついでいく事に期待していますけどね。1人でも犠牲を出さない町にしたいっていう事が私の願いです」