自ら命を絶つ自死により突然我が子を失った遺族たち。自らの経験や後悔が社会に反映されることで自死を減らすことにつながればと願う、遺族の声を聞きました。

 自死遺族で作る、藍の会(仙台市)代表の田中幸子さんです。
 田中幸子さん「まさかお墓を作るとは思ってなかったのでね」
 墓に眠るのは、長男の健一さんです。
 田中幸子さん「とても真面目ですし一生懸命でしたし、恐らく警察の試験はトップで受かってたと思います」

 宮城県警の警察官だった健一さんは2005年に塩釜警察署に配属され、18人が死傷したRV車飲酒運転事故の捜査などで多忙を極めました。更に、過重労働を強いる当時の風土やパワハラに追い詰められました。

 健一さんは心身を病み、その年の11月に官舎で自ら命を絶ちました。34歳でした。
 田中幸子さん「自分だけっていう孤立感が凄くあるんですよね。同じ境遇の人に会いたい思いは非常に強かった、いるんじゃないかっていう思いが」

藍の会代表田中幸子さん

 初めは他の県の自死遺族の会に参加していた田中さんでしたが、こうした場がもっと身近に欲しいと2006年に宮城県で初となる自死遺族の自助グループ、藍の会を立ち上げます。会の名前は、息子が着ていた警察官の制服の藍色から名付けました。

 田中さんは、これまで7000人以上の遺族と関わってきました。現在、藍の会で定期的に開催しているサロンでは、悩みや悲しみ笑い飛ばしたい愚痴から損害賠償請求の相談まで、様々な会話が繰り広げられます。

 藍の会に支えられたという男性が、宮城県亘理町にいます。
 「部屋はもう6年前から何も変わってないですね。ドラムの位置も」
 2019年3月、当時中学2年の息子を自死で亡くしました。亡くなる前、息子は親に「学校に行きたくない、死にたくなる」と打ち明けていました。

自死遺族の男性

 背景には、教師からクラスメイトの前でテストの点が低いと注意されたり、シャツが出ていて赤ちゃんみたいだとからかわれたことなどがありました。男性は学校に適切なカウンセリングを求めましたが、学校は応じませんでした。

 我が子の自死から1カ月、遺族は宮城県教育委員会に対し自死の原因を調査する第三者委員会の立ち上げを求めます。しかし、2022年に宮城県教育委員会は教師の不適切な指導や生徒らによるいじめがあったことは認めましたが、それらが自死の原因とは認めませんでした。

 納得がいかない遺族は再調査を要求し、宮城県教育委員会は2024年12月、新たに息子がSNSで7回にわたり「死ね」と言われたことなどを認定し、いじめと自死は関連があったと結論付けました。最初の調査要求から5年半以上が経っていました。

 息子が亡くなった当初、男性は調査を求める発想すらなかったと話します。自死は後ろめたいことだと考えていたためです。
 「自殺者が出たということで学校にも迷惑を掛けるのではないかなとか、そんなことばかりを感じてましたね、肩身が狭いというか」

 しかし、藍の会を通じて田中さんや同じ境遇を持つ遺族とつながったことで、男性は声を上げて調査を求める必要性を実感できたといいます。
 「息子さんに何が起きたのか、その事実をまず親としては知るべきじゃないですか、というアドバイスを同じ境遇の方にもいただきまして背中を押されて」

 田中さんは、男性の代理人として記者会見にも臨み、調査の実現を支えました。
 田中幸子さん「亘理町長が自ら謝罪もしてくれたし、本当によかったのかなと。息子さんの墓前にご報告ができるのかなと思って、ちょっとほっとしたっていうか」

 遺族同士の支えによって答申が得られ、男性は調査を通じて息子は悪いことはしていなかったと確信できたと言います。
 「息子は何も悪いことはしていないんだし、田中さんとめぐり会ってそういう気持ちを持つことができるようになりました」

シンポジウムも開催

 藍の会では、自死遺族らの集まりの他に支援者や一般向けにシンポジウムなども開催しています。自らの経験や後悔などを赤裸々に語ることが遺族の心の整理になり、当事者の声として社会に反映されることで、自死そのものを減らしていけると考えています。
 田中幸子さん「学校の問題なら学校で子どもを亡くした親の声がちゃんと反映されればピンポイントで対策が立てられると思うので、自死遺族の声を皆さんに聞いてほしいと思います」

 藍の会を通じ、息子の自死と向き合った亘理町の男性もこの考えに共鳴しシンポジウムなどに参加しています。
 「田中さんのように1人でも2人でも声を上げて、世の中にこういった活動も含めてPRしていくことも必要なのではないかと感じています」