宮城県気仙沼市を襲った津波を記録した動画が、2021年秋に公開されました。撮影したのは当時15歳の中学生。10年を経て公開した思いを取材しました。

 2011年3月11日、震災当日に気仙沼市の三ノ浜地区を襲った津波の映像です。黒い波が防潮堤を越え、家々を次々とのみ込んでいく様子が記録されています。
 この動画を撮影したのは、気仙沼市で飲食店の店長を務める畠山亮さん(26)です。当時は15歳、中学3年生でした。

 畠山さんが住む気仙沼市の三ノ浜地区は、気仙沼本土と大島を結ぶ気仙沼大島大橋のたもとにある集落です。あの日、自宅にいた畠山さん。
 畠山亮さん「ゆっくり小さく、最初、小さく揺れてて、そこからいきなりこう激しくなって、今までに経験したことのない地震で」

 三ノ浜地区には、震災の1年前に起きたチリ地震の際、最大で1.2メートルの津波が到達しました。その経験から「間違いなく津波が来る」と考えた畠山さん。高台へと避難する途中、津波を目撃し、いつも持ち歩いていたカメラ付きの携帯音楽プレーヤーで撮影しました。

 海面は瞬く間に上昇。津波はあっという間に家の屋根の高さまで達しました。畠山さんは、避難しながらも撮影を続けました。
 畠山亮さん「破壊の限りを尽くしていたというか、もう常に波は湾内で渦巻いているっていうか、沖の方は白波、あっちの気仙沼湾の方にザーッとすごい勢いで流れていたんですよ」

 三ノ浜地区には数メートルの津波が押し寄せました。高台にある畠山さんの自宅は無事でしたが、海沿いの住宅は流されるなどの被害を受けました。
 畠山亮さん「家もどんどん壊れていきますし、物音っていうか壊れる音もすごかったですからね。はっきり聞こえるんですもん。津波に車もやられてクラクションもずっと鳴りっぱなしだったですし。もう絶望でしたよね。あれ、みたいな全部壊されていくみたいな、今までいろんな思い出が詰まった場所だったんで、その現状を見ていて最初は信じれませんでした」

 三ノ浜地区は、1896年の明治三陸地震や1933年の昭和三陸地震などで津波の被害を受けてきました。
 住民「おい、上がったほうがいいぞ。高いところへ上がったほうがいいぞ」
 東日本大震災の際、地区の人たちは、20メートルほどの高台に避難。畠山さんの撮った動画には「高台に上がれ」と避難を呼び掛け合う住民の声も記録されています。   
 壊滅的な被害を受けた三ノ浜地区。しかし、犠牲になった人はいませんでした。過去の教訓が生きたのです。

 震災後、畠山さんは撮影した動画を見返すことはありませんでした。
 畠山亮さん「基本的には一切見ていないですね。やっぱり次の日になってもその次の日になってももちろん忘れることもないし、思い出したくもない」

 転機が訪れたのは、2021年秋。畠山さんは、津波で家族を亡くした知人に動画の存在を打ち明けました。すると「しまっておかないで、後世のために公開すべきでは」と勧められたと言います。
 畠山亮さん「(津波を)見た人とかも傷ついている人とかもいろんなことを思い出したりとかして、あと自分自身、不謹慎じゃないのかなとか、そういうところを考えた」

 悩んだ末、畠山さんは動画の公開を決意。2021年11月に動画公開サイトYouTubeにアップされました。
 公開から4カ月。23分半ほどの動画はこれまでに再生回数1270万回を超えました。
 「改めて忘れてはいけないと思う」「津波の怖さをしっかりと理解することができた」といった7000件を超えるコメントが寄せられています。

 震災から間もなく11年。三ノ浜地区では、防潮堤の工事が進み、震災の爪跡は残っていません。
 畠山さんは自分が撮影した動画を「次の災害の際に、1人でも多くの人の命を守るために役立ててほしい」と話します。
 畠山亮さん「災害、地震でも津波でも来た時には、もうとりあえず逃げてほしいんですよね。後からじゃ遅いっていうか、どうしよう、どうしようと言っているころにはもう津波だったら来るので、避難、逃げる。津波とか自然災害に対しても気持ちというか心構えというかそこですね」