仙台市出身でオリンピック2連覇を達成したフィギュア羽生結弦選手が、今後は競技会には出ずプロとしてスケートを続け、4回転アクセルに挑戦していくことを表明しました。
羽生結弦選手「プロのアスリートとしてスケートを続けることを決意しました。競技者として他のスケーターと比べられることはなくなりました。過去の自分とも戦いながら、これからも滑っていきたい」
羽生選手は2014年のソチ、2018年の平昌オリンピックで2連覇を達成。
平昌では右足の靭帯を痛め万全の状態ではなかったものの、圧巻の演技を見せました。
2連覇の後、仙台で行われた祝賀パレード。11万人近くが沿道を埋め尽くし、その経済効果は約18億円に上りました。
羽生結弦選手「自分にとっては2連覇できました。オリンピックは今の自分の立場・発言をさせていただく大切な場所です。自分が夢を追い続けたり頑張り続けたことを証明できた場所です」
仙台市出身の羽生選手は、東日本大震災の時、16歳。練習拠点だった泉区のアイスリンク仙台で揺れに襲われました。
当時の羽生結弦選手「テスト休みで練習していてリンク内で地震に遭った。今では考えられない状況が目の前に広がっていました」
それから11年。次々と偉業を成し遂げた羽生選手ですが、被災地を思う気持ちは変わりませんでした。
2月の北京オリンピック。フリーの前日に足首を痛めましたが3連覇を狙い、前人未到の4回転アクセルに挑戦します。このジャンプが、世界初認定。結果は4位とメダルには届きませんでしたが、果敢に挑戦する姿に多くの人が感動しました。
羽生結弦選手「4回転半ジャンプにもより一層取り組んで、皆さんの前で成功させることを強く考えていきます。僕が大好きだった時代の、僕が追い求める理想のフィギュアスケートを追い求めたいです」