特集は、ロシアによるウクライナ侵攻から間もなく半年。宮城に避難した人を支えるウクライナ出身の女性です。

 宮城県七ヶ浜町立汐見小学校。外国籍の児童の言語サポートをするウクライナ出身の高橋旺礼南さんです。

 日本に住み始めて20年目。古里のことを忘れたことはありません。

旺礼南さん「第二次大戦の時も、ウクライナは結構、メインの戦い場になったりしてたので、どういう感情を持てば良いのか。ウクライナの中で戦争がずっと起きてたので、いつまでこれ続くの?みたいな」

 2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻。

 各地で激しい戦闘が続き、死者は少なくとも数万人以上と言われていますが、全容はいまだに分かっていません。

 アメリカ出身の夫と仙台で暮らす旺礼南さん。

 4月に母親のカテリーナさんが、被害が甚大なウクライナ東部の都市ハルキウから避難してきました。

カテリーナさん「戦争が起きた時は、ハルキウ市から100キロ離れた小さな町のダーチャ(セカンドハウス)にいました。そして、その町が占領地域になってしまいました。私たちは(ロシアの侵攻は)脅かすくらいだと思っていました。とてもつらいです」

 しばらくは、ふさぎ込んでいたカテリーナさん。

旺礼南さん「どのパンを食べる?」

カテリーナさん「あなたは丸いパンが食べたいんじゃない?」

旺礼南さん「お母さんが切ってくれるんでしょ?うちの近くのパン屋さんで、ウクライナのパンに似てる味(母親は)つい最近、料理ができるようになったというか(仙台に来てからは)何を作ってもおいしくなくて。多分、気持ちの切り替えができたのかな」

 2人の古里ハルキウがあるウクライナ東部は、今もロシアとの激しい攻防が続いていて、兄はその最前線で戦っています。

 毎日、携帯電話に1通のメッセージが届くたびに、胸をなでおろします。

旺礼南さん「今、お兄さんから連絡来ました。『オレナ、こんにちは。元気?私は無事です、元気です』」

 ロシアによる軍事侵攻から間もなく半年。

 県内では、ウクライナからの避難者を、仙台や石巻など4つの自治体で16人受け入れています。

 旺礼南さんは、仕事の傍らボランティアで、避難してきた人たちの入国や在留手続きなど、さまざまな場面でサポートしています。

 今月5日、旺礼南さんはカテリーナさんと、ウクライナから避難してきた女性に会いに石巻へ。

旺礼南さん「こんにちは」

イリナさん「おはよう。どうぞ入ってください」

 ホンチャロヴァ・イリナさんです。

 イリナさんは、石巻に住む息子を頼って4月に母親のリディヤさんと避難。

 カテリーナさんと同じ飛行機に乗って日本に到着しました。

イリナさん「お茶を用意したけど結構熱いよ。大丈夫?」

初めての日本に、最初は戸惑うこともありましたが、旺礼南さんの支えもあり、少しずつ生活に慣れてきました。

 今は日本語学校に通っています。

旺礼南さん「(イリナさんが日本の歌を)今、学んでるんですけど、習字の先生が多分、これをプレゼント」

イリナさん「上を向いて歩こう…とかね。日本でウクライナ人に出会えるのは、私たちにとっては幸せなことでした。(旺礼南さんの)サポートはたくさんあって、まずもってお金では買えないものです」

 今月8日、仙台市内の畑に旺礼南さんたちの姿がありました。

 ウクライナで農業を営んでいたカテリーナさん。

 日本でも野菜を作りたいと、地元の農家から無償で土地を借りました。

 6月からニンジンやジャガイモ、そして、ウクライナの伝統料理ボルシチに欠かせない、ビーツなどを育てています。

 この日はビーツの初めての収穫です。

カテリーナさん「(ちょっと小さいのは)種を蒔くのが遅くなっちゃったからだね。(でも)食べられるよ。たぶん甘いんじゃないかな」

 終わりの見えないロシアの軍事侵攻。

 旺礼南さんとカテリーナさんは、一刻も早く戦争が終わり、平和が戻ることを願っています。

カテリーナさん「日本の皆さんに知ってほしいのは、自分の国を失ってしまうつらさ。どれだけつらいかということです。健康、周囲の人、そしてもちろん自分の国を大切にしてほしいと思っています」

旺礼南さん「(日本での生活の中で)ウクライナとの共通点を皆さん見つけようとしているのかな。(避難者もウクライナに残る人も)生活大丈夫なのかなとか、日々思っています。相談や話を聞くだけでもそういう相手になれれば良いなと思っています」

 旺礼南さんにはロシアに住む親戚やロシア出身の友人も多くいましたが、軍事侵攻が始まると疎遠になってしまった友人もいるそうです。近い将来、宮城や東北の避難者どうしで、一同に会える機会があればと話していました。