東日本大震災の津波で最愛の子ども3人を亡くした宮城県石巻市の男性は、悲しみに向き合いながら命の大切さを伝え続けています。
木工作家の遠藤伸一さんはこの日、工房で本棚の制作に取り組んでいました。13年前の3月11日、遠藤さんは最愛の子ども3人を亡くしました。面倒見のいい長女の花さん(当時13)、かけっこが得意な長男の侃太くん(当時10)、そしてお父さんっ子で末っ子の奏ちゃん(当時8)です。遠藤さんにとって3人の子どもは宝物でした。
遠藤伸一さん「3人とも違う性格だけど、今思い出しても愛おしくてしょうがないというか、今もね会いたいっていうのが」
遠藤さんの家族が暮らしていたのは石巻市の長浜町です。大きな揺れを感じた遠藤さんは、離れで暮らす母親に3人の子どもを託した後、親戚の安否を確認しようとトラックで自宅を出たところで津波に襲われました。
流れて来たがれきにつかまり何とか一命を取り留めましたが、自宅が津波で流され子どもたちが犠牲になりました。
遠藤伸一さん「当時はね絶望っていう言葉、あと後悔と。もう消えてしまいたいみたいなね、生きる意味だったり望みっていうのは、もう無くなってしまった状態で」
子どもたちを守ることができなかった。13年間、自分を責める気持ちに変化はありません。妻の綾子さんと身を寄せた自宅近くの渡波保育所で、絶望の淵に立たされた遠藤さんを支えたのは、ともに避難生活を送る地域の住民たちでした。
悲しむ時間を少しでも減らしてあげたいと、あえて避難所の代表を託しました。地域の人たちの温かさが無ければ今の自分は無かったと振り返ります。
遠藤伸一さん「間違いなく終わってたって思いますね、周りの人の支えが無ければ。だって消えてしまうことを考えていたから。そうさせないためにたくさんの人が支えてくれて、その恩は返しきれないくらいね」
遠藤さんは自宅の跡地に設置したコンテナを拠点に、震災の翌年「チームわたほい」を立ち上げました。地域の住民たちが支えあう場を作りたかったのです。
遠藤伸一さん「看板を見ていただけたら、この地区の震災の様子だったり昔の渡波っていうのを分かっていただけるかなっていう」
遠藤さんは、震災の被害や避難生活の様子などを記した伝承看板を設置するなど地域の人たちとともに歩んできました。
活動は今も続いています。震災で亡くなった地域の人たちへの慰霊の思いを込め、毎年3月11日の夜に地元で花火を打ち上げています。遠藤さんは花火に子どもたちへの思いを重ねます。
遠藤伸一さん「こういうたくさんの思いの輪の中で心地良く生かされるっていうこと、父ちゃん頑張って生きるから安心してくれっていうのを伝えたいです」
地域の人たちに支えられてきた遠藤さんは、地域のために続けている取り組みがあります。この日、訪れたのは母校の渡波小学校です。
話を聞く6年生は、震災の時にはまだ、生まれていません。子どもたちに震災当時の地域の状況や自身の経験を丁寧に伝えます。
遠藤伸一さん「動ける人はまた拾って来た物を食べたりっていう生活を、10日間続けてあの場面生きてきました。君らが今ここに生きてくれている、必ず誰かの宝物なので起きてしまう災害から命を必ずつないでほしいっていうことが、あの場面に生きた人たちの願いっていうかね」
遠藤さんにとってもつらい記憶を呼び起こしながら、子どもたちに生きることの大切さを伝えます。
児童「防災の対策をしっかり行って、いざ津波が来た時にちゃんと逃げられるようにすることです」「人の命は大事だなとずっと忘れないようにしてやりたいです」
震災から13年が経過し、月日を重ねても子どもを失った傷が癒えることはありませんが、遠藤さんは前を向き続けます。
遠藤伸一さん「今たくさんの人をつないでくださっているのは、子どもらだと思っているんです。子どもらが父ちゃんヘタレだから色々な人つないで生きれるように、父ちゃん笑ったりもできるようになったねって多分今見てくれてたら俺はうれしいなって思ってるんです」