東日本大震災からまもなく14年です。5日からシリーズで「311のいま」をお伝えします。国が重点的に復興を進める期間は、2025年度で終了します。盛岡市の公営住宅では被災者の心の支えとなってきた事業が終わろうとしています。

 津波の被害を受けて家を失った人たちが暮らす、内陸、盛岡の災害公営住宅。岩手県内で一番最後に完成しまだ4年しかたっていません。

 その一角にあるのが「コミュニティ番屋」です。新しい土地での暮らしに慣れてもらうため、相談員が常駐して入居者の交流などを支援してきましたが、来年3月末で終了予定となりました。国の交付金が縮小され、予算の確保が難しくなるためです。

橋本正喜さん(77) 「番屋が無くなったら付き合いは無くなると思うよ。孤立してしまうと思うよ」

 橋本正喜さん、77歳。震災当時、沿岸の釜石市に住んでいて津波で妻を失いました。

橋本正喜さん 「かろうじてガスの配管につかまったけど、俺もそれにつかまらなければ流された」

 引っ越してきた当時は知り合いもおらず、部屋にこもるような生活をしていたといいます。そんなときに出会ったのが、犠牲者を追悼するための灯籠づくりでした。

 番屋では毎年3月11日に盛岡市内で行われる追悼行事のため、灯篭の制作会も開催しています。

橋本正喜さん 「灯篭作って番屋もあるからこれを生きがいとしてやっている。これなければ、ぼやっとしてる状態。なければぽつんと中にいるようなもの」

 支援してきた側も思いは複雑です。

青山コミュニティ番屋 加藤昭一さん 「新しく作って4年。あとは何とかして。ちょっと過酷じゃないか。災害で大切な人を失った人のつらさとか悲しみって消えることってあるんだろうか考えたときに、消えるものではないと思う」

 盛岡市は、今年に入り避難者に聞き取りを行うなどして、新たな支援の形を模索しています。