東日本大震災から3月11日で14年です。震災当時の住民の避難行動を調査すると、職場での避難の重要性が見えてきました。生死を分けた要因に迫ります。

 津波復興祈念公園が整備された宮城県石巻市南浜・門脇地区には7メートル以上の津波が襲い、住民の1割を超える約500人が犠牲になりました。なぜ多くの命が失われたのか、震災伝承団体の3.11メモリアルネットワークは教訓を未来につなごうと、2015年から東北大学と共同で当時の避難行動を調査しました。

 地震発生時にいた場所やいつ誰とどこに逃げたのかを、生き残った住民約100人から聞き取りました。
 3.11メモリアルネットワーク中川政治さん「たくさんの方々が戻ったりとか動かなかったりっていう事をしているんですけども、次の災害も、もしかしたら同じことが起きてしまうのではないかと思ったので、3月11日の実際の行動を見える化しようということを思いました」

 証言を基に住民の動きを再現した映像では、地震発生から3分後、大津波警報が発表されますがすぐに高台に向かう人はいません。15分が経った頃から徐々に避難する人が増え始めました。しかし、一向にその場から離れない人や地区の中を動き回る人もいます。

 地震発生から57分後、津波が地区をのみ込みました。津波にのまれた古藤野正好(62)さんです。
 古藤野正好さん「振り向いて見た感じは黒い壁のような感じで、ドーッて迫って来るような感じに見えました。もう駄目だと思いましたね。見た瞬間は」

 震災発生当時は、自宅から4キロほど離れた勤務先の水産加工会社で働いていました。
 古藤野正好さん「工場はそのままでいいから、みんな引き上げて避難しろと。みんな一斉で帰宅だということを指示を受けました」

 地震の後、職場は一斉解散になり避難は1人1人に任されたことが、危険な避難につながっていきます。
 古藤野正好さん「ラジオ聞いて切羽詰まった放送だったし、津波は本当に絶対来るんだなっていう感じだったね」

 津波から両親を逃がそうと自宅に向かった古藤野さんは、避難する車の長い渋滞につかまります。ようやく渋滞を抜け、自宅に着いたのは地震発生から40分後でした。すぐに両親を高台へ向かわせ、自分も避難しようとしましたが思わぬ事に気が付きます。隣の家に住むお年寄りが自宅に残っていました。
 古藤野正好さん「逃げましょう避難しますよということで、避難を促しに行ったんですけどおじいさんの奥様が施設にいらして、連絡を取りたいのでちょっと待っててということで、良く考えれば良かったんですけど、すぐ電話は通じるんだろうという感じでそこで待ってしまいました」

 しかし、電話は一向につながらず地震発生から1時間が経とうとしていました。
 古藤野正好さん「絶対待ちきれないっていう感じですか、もうこれ以上待てないって」

 お年寄りの手を引き歩き始めたその時に古藤野さんは津波にのまれ、約8時間後に奇跡的に救助されました。一緒にいたお年寄りは帰らぬ人となりました。
 古藤野正好さん「申し訳ないなと思いました。一緒に連れて避難したのにうまく避難できなくて、申し訳なかったなと思いました。あの時連れ出せばという後悔の念が残っていますね」

 古藤野さんの会社には20人ほどがいましたが、一斉解散後に1人が津波に巻き込まれ亡くなりました。震災後に職場では防災計画を見直し、大地震の際は新たに造った避難ビルに全員で避難することにしています。
 古藤野正好さん「周りに声掛けもして、自分の命を守って逃げる事が大切だと自分は考えています。あの恐怖の場面ですか、一生忘れられないので私は避難警報が出たら逃げたいと思います。皆さんにもそう伝えたいと思います」

 危険な避難に陥る人がいた一方、多くの命を救った職場避難もありました。宮城県石巻市の高台、日和山で撮影された映像には白い作業着姿で山を駆け上がり、津波から逃れる食品工場の従業員の集団が映っていました。
 阿部圭子さん「高台に上がってくる気は頭に無かったです。そんな大きな津波が来ると夢にも思っていなかったから。山に移動して逃げろって言われたから登ってきたんだけど、それが正解だったのかな」

 川の側にある職場で働いていた阿部さんは、多くの人たちと一緒にいたことが功を奏します。地震発生から20分後、180人ほどいた従業員は中庭に集合した時に工場長の元には集団でいたことで津波の情報が集まり、いち早く高台に避難する指示を出しました。

 阿部さんは地震に動揺していましたが、この指示を頼りに同僚と高台を目指して歩き出しました。
 阿部圭子さん「逃げよう逃げようと声掛けて登ったんです。何も考えなかったかな、とにかく山に登らなきゃないって。それだけしかなかったね」

 地震発生から40分後に高台に到着し、職場にいた従業員全員が難を逃れました。それだけでなく、工場の集団避難を見て危機感を感じ、避難を決めた住民がいたことも分かりました。

 当時、東北大学で避難行動の分析に当たった牧野嶋文泰さんは、集団での避難行動が周囲に異常を知らせるサインになり避難の連鎖につながると考えています。
 富士通研究所牧野嶋文泰さん「小学校とか企業とか、結構大きな人数をコントロールするような組織の場合は、そこがきちんと避難行動を取ることが持つ影響はかなり大きいと思います。なので、そうした組織の避難のルール作りとか、避難の計画というのはとても大事になると思います」