東日本大震災をテーマに宮城県石巻市の大川小学校を舞台に撮影された映画です。監督は震災で妹を亡くした大川小学校出身の女性です。葛藤を抱えながら震災と向き合いました。
2月から3月にかけて、震災で児童と教職員84人が犠牲になった石巻市の大川小学校を舞台にした2本の映画が、宮城県で上映されました。
16日、石巻市で宮城県最後の上映があり、監督の佐藤そのみさん(28)が登壇しました。
佐藤そのみさん「大学生になってから、地元で絶対に震災をテーマにした映画を撮らないといけないという思いに、焦りみたいなものに駆られていて身を削るように2本とも作ったんですよね」
幼い頃から小説や漫画を書き写真を撮るのが好きだったそのみさんは、小学6年生の時には小学生対象の文学賞で上位に入賞する実力でした。いずれは自然豊かなふるさとの大川地区を舞台に映画を撮りたいと思うようになったのもこの頃でした。
そのみさんは中学2年生の時に被災し、大川小学校の6年生だった妹のみずほさんを亡くしました。それでも映画を作りたいという夢は持ち続け、大学在学中に大学の仲間と地元の協力も得て形にしました。
フィクションの「春をかさねて」は、震災で妹を失った14歳の少女2人の内面を見つめた作品で、そのみさんの実体験が元になっています。
「私、好きな人も作らないし、結婚もしないと思う」
「何で?」
「みすずたち、まだ小学生だったけど、これから先いろんなこと経験して、好きな人ができて、恋もしたんだろうなって。だけど何も知れないでしょ、一生」
震災で亡くなった妹に恥ずかしくないよう生きようと願う主人公、一方でボランティアの男性に恋心を抱く親友とはすれ違うようになります。
「れいみたいに化粧とか、そういうのとか、できるほうがすごいなって思う。私にはできないもん」
「別に何にも考えてないわけじゃないよ」
「ごめん」
「いいよね、祐美は。何でも人の前で話せて、お手本みたいに生きれて立派で。私なんかまだ、ちなつの夢も見てないもん」
震災で何もかも激変した大川地区を舞台に、少女たちの心は揺れ動き関係を修復していきます。
佐藤そのみさん「世の中の普遍的なこと、不条理とかささいな人間関係のすれ違いとか、若い方だったら自分をどう形成していくかとか、色々な事をこの映画からは感じられると思うので、自由に解釈していただけたらと思っています」
もう1つのドキュメンタリー映画「あなたの瞳に話せたら」は、そのみさん自身も登場します。3人の若者たちが震災で亡くなった家族や友人へ、手紙を通して語り掛けます。
「みずほへ、元気ですか。みずほはもう21の歳だろうか。あっという間だね。お姉ちゃんはあの後、中学と高校を卒業してその後東京に出て、映画を勉強する大学に入りました」
「5年1組のみんなへ、震災から8年が過ぎ、みんなとも少しずつ歳が離れていきますね。あまり、みんなのところに顔を出しに行けなくてごめんね。本当はみんなの所に手を合わせに行きたかったけど、残されたみんなの家族に悲しい思いをさせてしまうと感じて行けませんでした」
観客「あの当時の子どもたちの思い、葛藤が描かれているんですよね。そしてあの風景は私も地元ですから、震災前の事、震災後の事を思い出したりなんかして何度見ても色々考えさせられる映画だと思います」
観客「非常にレベルの高い映画だと感じています。1カット1カットがすごく小さく刻まれていて、ほとんどセリフのないカットの中に色々な思いが、メッセージが込められている」
観客の中には、映画によって癒やされたと感じた人もいました。
佐藤そのみさん「たくさんの人が亡くなったこととか、その人たちが本当なら今も普通に生活しているはずのこととか、大川でもいろいろな思いを抱えている人がいるのを放っておきたくはなかった。本当に色々な人のことを考えながら閉じ込めました。あそこに。だから誰かにこれは自分のための映画だと思ってくれればうれしいなと思います」
映画を通して震災に正面から向き合ったそのみさん。映画は次第に評判を呼び、全国での公開は23館になりました。
佐藤そのみさん「震災と正面から向き合わないとだめなんだって思って、この2作品を作ることになったんです。作り終えたら、新しい脚本を書くと震災のことは出てこなくなってきた。ちゃんと次に進めそうだなっていう感じはしています。疲れ果てるまでやったと思うので。こうやって形にできたっていうのがありますね。未完成だったら、ずっと引きずっていたかもしれないです」
そのみさんは2024年、文化庁の若手の映画作家を育成するプロジェクトに選ばれ、短編映画を完成させました。性被害に遭った子どもたちが大人になって、過去と向き合う姿を描いた作品です。
新たな一歩を踏み出したそのみさん。幼い頃に大川で描いた夢は更に広がっています。
佐藤そのみさん「震災はいったんこの2作品で描いたと思っているので、震災以外で撮りたいテーマがいくつかあるので、じっくりと挑戦していきたいなと思っていますし、いつか震災で妹を亡くしたそのみ監督という肩書がつかなくても取り上げてもらえるようにしたいなと。いい作品を作り続けられたらと思っています」