宮城県南三陸町では、津波の悲惨さを伝える震災遺構の保存をめぐり今も葛藤が続いています。

 海岸から約600メートル。大津波に襲われ43人が犠牲になった宮城県南三陸町の旧防災対策庁舎です。

 津波は、3階建ての庁舎の屋上を越えました。鉄骨が大きくゆがみその威力の凄まじさを伝えています。

 朝早くから遺族らが訪れ、花を手向け手を合わせていました。

 「13年経っていますけど、忘れてはいけないことがあるんだろうなと」

 津波の悲惨さを伝える庁舎は、震災後に保存するか解体するかで町民の意見が割れたため、県が2031年まで所有することで結論を先送りしていました。

 ところが1日、自らもこの庁舎で被災した佐藤仁町長が多くの人が訪れる庁舎を震災遺構として残すと表明しました。

 佐藤仁南三陸町長「未来の命を守るという役割を担っていただいているところがあります。そういう意味でこの施設は後世に残すべきと思っております」

 一方で、今でも庁舎を見たくない、解体してほしいという町民の声もあります。

 震災の教訓をどのように伝えていくべきか、被災地では今も模索が続いています。

 宮城県石巻市では震災を思い出したくないという市民の気持ちに配慮し、新たな試みが行われました。

 石巻市の日和山公園です。朝早くから多くの人が献花に訪れました。この高台には13年前の3月11日に多くの市民が避難して来ました。宮城県で最も多くの犠牲者を出した石巻市でも祈りの1日を迎えました。

 石巻市は、追悼のサイレンの音を変更しました。当時の記憶がよみがえってつらいといった市民の気持ちに配慮し、例年よりも低い音に初めて変えました。

 石巻市では今後、サイレンの音をどうするか市民の反応を見て決めたいとしています。以上、中継でお伝えしました。