東日本大震災から15年目に入り、国からの交付金が支給される第2期復興創生期間が2025年度で終了します。宮城県南三陸町は、独自の取り組みで被災者の心のケアを続けています。

 南三陸町で2番目に規模の大きい災害公営住宅、志津川東復興住宅は入居する86世帯139人のうち、半数以上の45世帯が1人暮らしです。誰にも気付かれずに亡くなる孤独死など、最悪の事態に備え継続的なサポートが求められています。

 南三陸町社会福祉協議会で災害公営住宅の見守り事業、ライフサポートアドバイザーを務める佐藤直美さんは平日、災害公営住宅の集会所に常駐して日々高齢者を中心に見守り活動を行っています。

高齢者を見守る

 これまで国の交付金を活用して実施してきた災害公営住宅の見守り事業ですが、東日本大震災から14年が経ち南三陸町では2025年度から町独自の事業として行う高齢者の見守りを始めました。使える予算が減る中、手探りのスタートです。

 佐藤さんがこの日にまず訪れたのは、94歳の渡辺たか子さんの部屋です。渡辺さんは3月に夫の昭二郎さんを亡くし1人暮らしが始まりました。渡辺さんは南三陸町の老人ホームで働いていた長女の久美子さんも震災で亡くし、災害公営住宅での生活は8年目に入っています。
 佐藤直美さん「100歳体操とかねいっぱい参加できてるもんね」
 渡辺たか子さん「おじいさんの49日過ぎたら参加するから」
 佐藤直美さん「何でも1人でやってるもんね。全部1人でやってるもんね」

 渡辺さんは94歳ながらも毎日、台所に立ち食べることが長生きの秘訣と話します。
 渡辺たか子さん「うれしいです。何となくね。見ると安心するの。私いつも声掛けてもらって安心しています。うんと力になります」

被災者に寄り添う

 佐藤さんは被災者に寄り添い団地で見かけた被災者に声掛けを続けて、つながりや安心感を感じてもらうことを心掛けています。
 佐藤直美さん「慣れてしまうことが時々駄目だと思うので、言葉使いとかも気を付けてるし。丁寧な訪問って言ったら変ですけど。ただ声掛けって思うかもしれないけど、それで安心してもらえる、寄り添っているという実感」

 しかし、こうした災害公営住宅の見守り活動も人員削減を余儀なくされる状況になっています。
 復興庁は2025年度までの5年間を第2期復興創生期間と位置付け、震災から16年目となる2026年度以降様々な予算を削減する方針を打ち出しています。

 南三陸町でも2024年度まで8人体制で行ってきた見守り活動を、2025年度からは半数の4人に削減して活動を始めました。
 南三陸町社会福祉協議会高橋吏佳事務局長「町独自の形での見守り活動を展開しするって形になりましたが、やはり国の事業が一定期間で令和7年度で終わるということをですね、もう一度整理してほしいなと思っていることが正直なところ」

 南三陸町では、災害公営住宅の見守り事業をこれまでは国の交付金を活用して行ってきました。2018年度には最大の4800万円を予算化していましたが、国の予算を活用した最終年度の2024年度は2500万円余り、町の事業となった2025年度は1800万円と年を追うごとに縮小されています。
 南三陸町社会福祉協議会高橋吏佳事務局長「(災害公営住宅は)鉄の扉とよく言われますけど、まさにそのような状況で隣が誰なのか分かる人は分かるが、そういった関係性を作ることが非常に重要な視点と思う」

 宮城県は国の予算打ち切りは止むを得ない状況としていますが、引き続き国に対する支援の要望は継続する考えです。
 村井宮城県知事「15年の節目に復興庁の役割が宮城復興局の役割が、かなり小さくなっていく。やはり地元の皆さんからすると不安が残る形になると思います。その点はしっかりとこの1年間、国のほうに復興庁のほうに物を申していきたい」

心の支援

 南三陸町は国と協議し2025年度から方針を転換し、国の交付金の活用をやめて町の予算による町の事業として、高齢者の見守りを介護保険事業の一環として行う方針を決めました。
 南三陸町保健福祉課菅原大樹係長「被災者を取り巻く環境復興の流れによって周りの環境も変わってきておりますので、新たなフェーズに移行してきてるのかなと感じております」

 南三陸町では、被災した高齢者と被災していない高齢者の垣根を取り払い、同じ課題の下で高齢者をサポートしていく事業を手探りながらも4月から始めました。
 南三陸町保健福祉課菅原大樹係長「特定の方(高齢者)だけというよりも地域住民全体として必要な支援、取り残される人がないような支援を続けていければと思っております」

 震災から15年目に入り、被災者に寄り添った心の支援への対策はこれまで同様求められます。
 渡辺たか子さん「これからは1人の年金生活だから。寝たい時はごろんと寝てそんな生活だから。ただ年金生活になるから生活できるかできないか、それだけが心配」