11日、仙台港に世界唯一の捕鯨母船関鯨丸が入港しました。宮城県と捕鯨文化は、深い関わりがあります。

 かつて国内最大の捕鯨基地として栄えた石巻市鮎川はその昔、50世帯ほどの小さな漁村でしたが捕鯨文化の始まりから「くじらのまち」に発展しました。

 1906年、山口県の東洋漁業が事務所を構えたことを皮切りに、全国の捕鯨会社が鮎川に進出します。

 1955年には旧牡鹿町の人口は1万3000人を超え、約8割は捕鯨関連の仕事に就いていたということです。

 鮎川は親潮と黒潮がぶつかる好漁場、金華山沖に近く、1950年代には年間2000頭以上のクジラが水揚げされていました。

 しかし、高度経済成長期に伴い人々の食習慣も変化したことで、ピークの1962年度には約23万トンあった消費量が減少をたどります。

 更に1988年に日本は国際捕鯨委員会=IWCの決議に従い、大型鯨類を対象とした商業捕鯨を停止しました。

 水産加工会社の木の屋石巻水産は、日本の食文化を保存し後世に伝えていくことも重要な役割と、クジラ肉を使った缶詰やベーコンなどを製造し続けています。

 日本は2019年にIWCを脱退して31年ぶりに商業捕鯨を再開し、世界で唯一の捕鯨母船関鯨丸が製造されました。全長112.6メートル総トン数は9299トンで、船内では解体、加工、検査、梱包、冷凍保管までの一連の流れができるということで、海上の動く食品工場です。

 クジラの需要回復を目指す動きの一方で、国内外の市民団体から捕鯨に反対する動きも根強いものがあり、課題が多いことが現状です。