震災による津波で壊滅的な被害を受けた仙台湾の干潟。そこにすむ生き物の姿は失われてしまいました。津波は生態系にどのような影響を与えたのか、干潟の12年の変化を追いました。

 「生命のゆりかご」と言われる干潟。仙台湾の干潟は国内でも有数の水鳥の飛来地で、カニや貝など豊富な生き物たちのすみかになっていました。
 しかし、震災による津波が襲い沿岸部は壊滅的な被害を受けました。

 蒲生を守る会で干潟を長年観察してきた熊谷佳二さん。震災から数日後、自転車で蒲生の様子を見に行くと目の前には「沈黙の干潟」が広がっていたと言います。
 蒲生を守る会熊谷佳二さん「全く生き物の気配が無かったんですね。昔は泥の中にいるカニやゴカイがたくさんいて、その巣穴が泥の表面に開いて見えたんですけど、そういうものが全く無くてですね。沈黙の干潟と呼んだんですけど、まさにそういう状態だった」

 干潟では、がれきで土がかき混ぜられ、環境は一変。生き物たちの姿は失われてしまいました。
 悲観的とされていた干潟の回復。2カ月後、熊谷さんは、ある兆しが見えたと言います。
 蒲生を守る会熊谷佳二さん「干潟の泥の表面に巣穴がたくさん開いていて、その一部から水が噴き出していたんですね。小さな生き物がいて活動しているってことなので、まさに私たちは干潟が呼吸を始めているって喜んだんですね」

 蒲生の生態系を保護するため50年以上活動を続ける、蒲生を守る会。震災後も毎月、調査しました。
 震災前には、約80種類いたエビやカニなどの生物は、震災直後には60種ほどに減少。現在では170種以上も確認され、震災で沈黙した干潟は再び呼吸を始めているのです。

 生物学が専門の東北大学大学院の占部城太郎教授らの研究グループは、蒲生や鳥の海など仙台湾の8地点の干潟を震災から8年間、定点調査しました。そして「津波から10年程度で生態系は回復する」と結論付けました。
 東北大学大学占部城太郎教授「我々が思っている以上に生き物はいろんな場所を見つけるのが上手だし、残っていればそこで増えることができる。僕らが考える以上に早く回復して、浜辺もにぎわっているなという感じがしますね」

 なぜ、消えた生き物たちは再び姿を現したのか。干潟の生物は、幼少期はプランクトンとして浮遊して生活しています。津波で海はかき混ぜられ、干潟には土砂が堆積。プランクトンは流れ出てしまいます。
 しかし、数年後には、波で土砂は流され元の環境に。プランクトンも元の干潟に流れ着いて定着したということです。
 東北大学大学占部城太郎教授「彼ら生き物が進化してきたのは、数万年・数十万年・数百万年の長さで進化しているわけですね。今回2000年に1回の津波でいなくなってしまう種はもともと淘汰されていなかったはずなので、乗り越えてきたたくましい子たちが仙台湾の干潟をにぎやかにしているということですね」

 少しずつ震災前の干潟に戻りよみがえった生態系。一方で、蒲生干潟に震災前に広がっていたヨシ原は、今もまだ元の姿には戻っていません。防潮堤工事により、蒲生干潟は一部が埋め立てられ水の量などが変化したことも一因とされています。

 震災前の姿に戻りつつある干潟。生き物の命をはぐくむ大事な干潟と、人の命を守る防潮堤がどのように共存するか。今後の課題です。
 東北大学大学占部城太郎教授「防潮堤を造ることはとても重要なんですけど、生き物にとってもどんな意味があるかを理解していく必要があると思う。安心安全と生態系の保全というのが上手く調和できるようになるということが研究側の使命でもあるし、人間社会の使命でもあると思うんですよね」