旧優生保護法をめぐる裁判は最高裁が3日、旧優生保護法を違憲とし国の賠償責任を認める判決を言い渡しました。国が長年にわたって人権侵害から目を背け裁判が長期化したため、最高裁判決を聞くことが無いまま亡くなった原告がいます。

 兵庫県明石市に住む原告の小林宝二さん(92)と裁判を共に闘った妻の喜美子さんは、7月3日の最高裁判決を待たずこの世を去りました。
 小林宝二さん「妻が生きていたら良かったと思います。一緒に喜びたかったと思います」

 宝二さんと貴美子さんは、共に聴覚障害がありお見合いで結婚しました。絵に描いたようなおしどり夫婦で、結婚して間もなく喜美子さんは妊娠します。
 小林宝二さん「仕事を頑張って子どもを育てて楽しい暮らしがしたいと思っていました。可愛いだろうなあと想像していました。それが私の夢でした。でもかなわなかった」

 貴美子さんの出産を親が反対し、説明が無いまま中絶手術を受けさせられ子どもを産むことはできませんでした。
 小林宝二さん「勝手にお腹の赤ちゃんを殺されてしまったことに傷ついて、泣き暮らしていました。聞こえなくても子どもを産んで育てている夫婦はたくさんいます。そういう人たちのことは母には見えていなかったんです」

 その後、もう一度子どもを産もうと2人は考えましたが、その夢がかなうことはありませんでした。
 2018年の覚障害者団体の調査で、喜美子さんは中絶と同時に優生保護法による不妊手術を強制されていたと判明し、2人は、国に賠償を求め提訴しました。
 裁判は国は適法だったと主張して長期化し、喜美子さんは判決を聞くことが無いまま2022年に89歳で亡くなりました。

 最高裁判決言い渡しの3日、小林さんは貴美子さんの遺影とともに法廷に入りました。最高裁は、国の責任を認め被害者へ損害賠償を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
 しかし、全国で起こされた裁判の原告39人のうち6人が亡くなっていて、被害者は多くの歳月を奪われました。
 小林宝二さん「喜美子も天国から見て喜んでくれていると思います。この判決を待っていました。6年間、長かったです。判決まで本当に苦しい日々でした。きょうで闘いは終わりにしようと思っています」

 岸田総理は17日、原告に直接謝罪し、今後和解による早期解決や新たな補償枠組みを設ける方針を示しています。